・・・をもてなし、たのしませる好色ものや息子ものとなった。あのころも今も、「大人の文学」は、そのときどきの勢に属して戯作する文学であった。そして、人間は理性あるものであって、ある状況のもとでは清潔な怒りを発するものであるということを見ないふりして・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・その結果荷風は、ヨーロッパふうな社会的なものの考えかたは放擲して、自身の有産的境地のゆるす範囲にとうかいして、好色的文学に入ってしまった作家です。社会に発現するあらゆる事象を、骨の髄までみて、そこに出てくる膿までもたじろがずに見きわめる意味・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・住吉の社頭で大矢数一昼夜に二万三千五百句を吐いた西鶴が、そのような早口俳諧をもってする風俗描写の練達から自然散文の世界に入って、浮世草子「好色一代男」などを書き始めた必然の過程は、人生と芸術への疑いにみたされていた桃青にどのような感想を与え・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・なかでもウェルビツカヤが女で好色の文学をかくことで有名だった。 文化は依然として、支配階級の手の中にあった。 メレジュコフスキーの妻であったギッピウスは、フランス文学のデカダンスの影響をうけ、革命からはなれて、前途に何の見とおしもな・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
出典:青空文庫