・・・何だと訊ねると、みんな顔を見合わせて笑う、中には目でよけいな事をしゃべるなと止める者もある。それにかまわずかの水兵の言うには、この仲間で近ごろ本国から来た手紙を読み合うと言うのです。自分。そいつは聞きものだぜひ傍聴したいものだと言って座を構・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・さて―― もしお政が気の勝ている女ならば、自分がその夜三円持て母を尋ねると言えば、「質屋から持って来たお金なんか厭だと被仰ったのだから持て行かなくったって可う御座いますよ」と言い放って口惜し涙を流すところだが、お政にはそれが出来ない・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 負傷者は、それ/″\、自分が何項症に属するか、看護長に訊ねるのであった。何項症であるか、それによって恩給の額がきまるのだ。そんな場合、栗本には、彼等が既に国家に対して債権者となっているように見えてきた。「何だい! 跛や、手なしや、・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・従兄に訊ねると叱られるかもしれないが、恥しい思いをしなくもいい。「まかない棒いうたらどれどいの?」 従兄は、例の団栗眼を光らして怒るかと思いの外、少し唇を尖らして、くっくっと吹き出しそうになった。が、すぐそれを呑み込んで、「うう・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・私は太郎の耕しに行く畠がどっちの方角に当たるかを尋ねることすら楽しみに思いながら歩いた。私の行く先にあるものは幼い日の記憶をよび起こすようなものばかりだ。暗い竹藪のかげの細道について、左手に小高い石垣の下へ出ると、新しい二階建ての家のがっし・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・男親の悲しさには、父さんはそれ以上のことをお初に尋ねることも出来なかった。「もう何時だろう。」と言って父さんが茶の間に掛かっている柱時計を見に来た頃は、その時計の針が十時を指していた。「お昼には兄さん達も帰って来るな。」と父さん・・・ 島崎藤村 「伸び支度」
・・・やがて二人で大立廻りをやって、女房は髪を乱して向いの船頭の家へ逃げこむやら、とうと面倒なことになったが、とにかく船頭が仲裁して、お前たちも、元を尋ねると踊りの晩に袖を引き合いからの夫妻じゃないか。さあ、仲直りに二人で踊れよおい、と五合ばかり・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 私はまず車掌に尋ねる。この線は海岸のすぐ近くを通っているのである。私たちは、海の見える側に坐った。「海が見えるよ。もうすぐ見えるよ。浦島太郎さんの海が見えるよ。」 私ひとり、何かと騒いでいる。「ほら! 海だ。ごらん、海だよ・・・ 太宰治 「海」
・・・ と局員が尋ねる。「そうでごいせん。娘です。あい。わしの末娘でごいす。」「なるべくなら、御本人をよこして下さい。」 と言いながら、局員は爺さんにお金を手渡す。 かれは、お金を受取り、それから、へへん、というように両肩をち・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・授の手紙を想い出すと同時にこの抽出しとS先生の手紙を想い出したのであったが、今ではもう昔の教室の建物はすっかり取毀されてしまって、昔の机などどうなったか行衛も分らず、ましてやその抽出しの中の古手紙など尋ねるよすがもなくなってしまった訳である・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
出典:青空文庫