・・・ 帰途に案内者のハリーがいろいろの人の推薦状を見せて自慢したりした。N氏の英語はうまいがT氏のはノーグードだなどと批評した。年を聞くと四十五だという。われわれは先祖代々の宗教を守っているのに、土人の中には少し金ができるとすぐイギリス人の・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・さては白湾子と共に名古屋に遊びし帰途伊勢を経て雪夜こゝに一夜を明かせし淋しさなどもさま/″\偲ばる。草津の姥が餅も昔のなじみなれば求めんと思ううち汽車出でたれば果さず。瀬田の長橋渡る人稀に、蘆荻いたずらに風に戦ぐを見る。江心白帆の一つ二つ。・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・都会の小学校へ通っての帰途らしい。突然女の児の一人が「牛は、わりに横眼がうまいわねえ」と云った。 近頃次第に露骨になりつつある都会のある階級の女のコケトリーについて、人から色々の話を聞かされていた私は、この無心の子供のこの非凡な註説を無・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・此のはなしは其日僕が恰東仲通の或貸席に開かれた古書売立の市で漢籍を買って、その帰途に立寄った時、お民が古本を見て急に思出したように語ったことである。 お民は父母のことを呼ぶに、当世の娘のように、「おとうさん、おかあさん」とは言わず「おっ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ 夜が更けて熱がさめたので暇乞して帰途に就いた。空には星が輝いて居る。 夜は見るものがないので途が非常に遠いように思うた。根岸まで帰って来たのは丁度夜半であったろう。ある雑誌へ歌を送らねばならぬ約束があるので、それからまだ一時間ほど・・・ 正岡子規 「車上の春光」
用事があって、岩手県の盛岡と秋田市とへ数日出かけた。帰途は新潟まわりの汽車で上野へついた。 秋田へ行ったのもはじめてであったし、山形から新潟を通ったのもはじめてであった。夏も末に近い日本海の眺めは美しくて、私をおどろか・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
・・・ さて、それなりそのことは忘れて、次の日例の如く三人つれ立っての帰途、五年の受持の先生は染物の用事で一年の先生のうちへよらなければならなくなった。「じきなんでしょう? じゃ私も行くわ」 唱歌の先生も仲間になって三人で戻って来た一・・・ 宮本百合子 「「うどんくい」」
・・・ 栄蔵は、日暮方から山岸に出かけて、帰途についたのはもう日暮れ方であった。 田圃道をトボトボと細い杖を突いて歩いて行った。 あの小意志(の悪い若主人が机を前にひかえて、却って栄蔵をせめる様な口調でいろいろ云う様子を思いながら・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・夜半青山の御大葬式場から退出しての帰途、その噂をきいて「予半信半疑す」と日記にかかれているそうである。つづいて、鴎外は乃木夫妻の納棺式に臨み、十八日の葬式にも列った。同日の日記に「興津彌五右衛門を艸して中央公論に寄す」とあって、乃木夫妻の死・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・ 一番の七時二十五分の列車で私は不安な帰途についた。見知らずの人がすぐ隣りに居ると思うとその人達を研究的な注意深い気持で観察し始めるので病んで居る妹の事を思うのは半分位になった。 電報を受取った日のまだ明・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
出典:青空文庫