・・・私たち師弟十三人は丘の上の古い料理屋の、薄暗い二階座敷を借りてお祭りの宴会を開くことにいたしました。みんな食卓に着いて、いざお祭りの夕餐を始めようとしたとき、あの人は、つと立ち上り、黙って上衣を脱いだので、私たちは一体なにをお始めなさるのだ・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・小さな門を中に入らなくとも、路から庭や座敷がすっかり見えて、篠竹の五、六本生えている下に、沈丁花の小さいのが二、三株咲いているが、そのそばには鉢植えの花ものが五つ六つだらしなく並べられてある。細君らしい二十五、六の女がかいがいしく襷掛けにな・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・二階と言って別に眺望が佳いのでもなければ、座敷が綺麗だという訳でもない。前にはコケラ葺や、古い瓦屋根に草の茂った貸長屋が不規則に並んで、その向うには洗濯屋の物干が美しい日の眼界を遮ぎる。右の方に少しばかり空地があって、その真上に向ヶ岡の寄宿・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・道太は湯に浸りながら、駅で一人一人救護所へ入っていった当時の避難者の顔や姿まで思いだすことができた。「今日の容態はどうかしら」道太は座敷へ帰ってから、大きな鮎の塩焼などに箸をつけながら、兄が今ごろどうしているかを気づかった。「さあ、・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・夏は納涼、秋は菊見遊山をかねる出養生、客あし繁き宿ながら、時しも十月中旬の事とて、団子坂の造菊も、まだ開園にはならざる程ゆゑ、この温泉も静にして浴場は例の如く込合へども皆湯銭並の客人のみ、座敷に通るは最稀なり。五六人の女婢手を束ねて、ぼんや・・・ 永井荷風 「上野」
・・・すかして見ると明け放ちたる座敷の灯さえちらちら見える。「どうかな」と一人が云うと「人並じゃ」と一人が答える。女ばかりは黙っている。「わしのはこうじゃ」と話しがまた元へ返る。火をつけ直した蚊遣の煙が、筒に穿てる三つの穴を洩れて三つの煙とな・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・次の間から上の間を覗いて、「おや、座敷の花魁はまだあちらでございますか」と、声をかけたのは、十六七の眼の大きい可愛らしい女で、これは小万の新造のお梅である。「平田さんもまだおいでなさらないんですね」と、お梅は仲どんが置いて行ッた台の物を・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・文士や画家や彫塑家の寄合所になっていた、小さい酒店が幾つもあったが、それがたいてい閉店してしまって、そこに出入していた人達は、今では交際社会の奢った座敷に出入している。新進文士でも二三の作が少し評判がいいと、すぐに住いや暮しを工面する。ちょ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・(半ば独言ははあ、あの離座敷に隠れておったわい。主人。誰が。家来。何だかわたくしも存じません。厭らしい奴が大勢でございます。主人。乞食かい。家来。如何でしょうか。主人。そんなら庭から往来へ出る処の戸を閉めてしまって、お前・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
朝蚊帳の中で目が覚めた。なお半ば夢中であったがおいおいというて人を起した。次の間に寝て居る妹と、座敷に寐て居る虚子とは同時に返事をして起きて来た。虚子は看護のためにゆうべ泊ってくれたのである。雨戸を明ける。蚊帳をはずす。この際余は口の・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
出典:青空文庫