・・・がもう一学期半辛抱すれば、華やかな東京に出られるのだからと強いて独り慰め、鼓舞していた。 十月の末であった。 もう、水の中に入らねばしのげないという日盛りの暑さでもないのに、夕方までグラウンドで練習していた野球部の連中が、泥と汗とを・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・婚姻はもとより当人の意に従て適不適もあり、また後日生計の見込もなき者と強いて婚すべきには非ざれども、先入するところ、主となりて、良偶を失うの例も少なからず。親戚朋友の注意すべきことなり。一度び互に婚姻すればただ双方両家の好のみならず、親戚の・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・固より願わしき事なれども、如何せん、是れは唯今日の希望にして、今日の実際に行う可らず。強いて実行せんとすれば、其便利は以て弊害を償うに足らざることある可し。我輩の窃に恐るゝ所なり。蓋し男女交際法の尚お未熟なる時代には、両性の間、単に肉交ある・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・しかるをなお強いて「戯れに」と題せざるべからざるもの、その裏面には実に万斛の涕涙を湛うるを見るなり。吁この不遇の人、不遇の歌。 彼と春岳との関係と彼が生活の大体とは『春岳自記』の文に詳なり。その文に曰く橘曙覧の家にいたる詞・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ 芭蕉の句はことごとく簡単なり。強いてその複雑なるものを求めんか、鶯や柳のうしろ藪の前つゝじ活けて其陰に干鱈さく女隠れ家や月と菊とに田三反等の数句に過ぎざるべし。蕪村の句の複雑なるはその全体を通じてしかり。中につ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・少しふるえる様な強いて装うた平気さで云う。精女 マア、――何と云う事でございましたろう、とんだ失礼を、――御ゆるし下さいませ。しとやかなおちついた様子で云う。そしてそのまんま行きすぎ様とする。第二の精霊 マア・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・女の人では野上さんとか、網野さんとかいう方がありますけれど、そして、私が強いて求めない気持もありますけれど、男の方としては一人もないといっていいと思います。 旅行は大好きですからよく一人で出かけます。ずっと以前、まだ結婚しない時分はたび・・・ 宮本百合子 「十年の思い出」
・・・ そして花房はその分からない或物が何物だということを、強いて分からせようともしなかった。唯或時はその或物を幸福というものだと考えて見たり、或時はそれを希望ということに結び付けて見たりする。その癖又それを得れば成功で、失えば失敗だというよ・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・ 奥さんもなる程そうかと思って、強いて心配を押さえ附けて、今に直るだろう、今に直るだろうと、自分で自分に暗示を与えるように努めていた。秀麿が目の前にいない時は、青山博士の言った事を、一句一句繰り返して味ってみて、「なる程そうだ、なんの秀・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・それは瞑想する自分には望ましい事実であるが、本能的には恐ろしい。強いて死を求めるのは不自然である。けれども死が人間の運命だという事は人間の不幸ではない。従って死んでもいいし死ななくてもいい、生きていてもいいし、生きていなくてもいい。 こ・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫