・・・ 沼南が議政壇に最後の光焔を放ったのはシーメンス事件を弾劾した大演説であった。沼南の直截痛烈な長広舌はこの種の弾劾演説に掛けては近代政治界の第一人者であった。不義を憎む事蛇蝎よりも甚だしく、悪政暴吏に対しては挺身搏闘して滅ぼさざれば止ま・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 先年侯井上が薨去した時、当年の弾劾者たる学堂法相の著書『経世偉勲』が再刊されたのは皮肉であった。『経世偉勲』の発行されたのはあたかも侯井上の欧化政策時代であって、その頃学堂はジスレリーに私淑しているという評判だった。が、政治家としての・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・というふざけ切った読み方をして、太宰は実朝をユダヤ人として取り扱っている、などと何が何やら、ただ意地悪く私を非国民あつかいにして弾劾しようとしている愚劣な「忠臣」もあった。私の或る四十枚の小説は発表直後、はじめから終りまで全文削除を命じられ・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・これが一日ベルリンのフィルハーモニーで公開の弾劾演説をやって無闇な悪口を並べた。中に物理学者と名のつく人も一人居て、これはさすがに直接の人身攻撃はやらないで相対原理の批判のような事を述べたが、それはほとんど科学的には無価値なものであった。要・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・垢抜けのした東京の言葉じゃ内閣弾劾の演説も出来まいじゃないか。」「そうとも。演説ばかりじゃない。文学も同じことだな。気分だの気持だのと何処の国の託だかわからない言葉を使わなくっちゃ新しく聞えないからね。」 唖々子はかつて硯友社諸家の・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・ 応急手当が終ると、――私は船乗りだったから、負傷に対する応急手当は馴れていた――今度は、鉄窓から、小さな南瓜畑を越して、もう一つ煉瓦塀を越して、監獄の事務所に向って弾劾演説を始めた。 ――俺たちは、被告だが死刑囚じゃない、俺たちの・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・ すなわち我輩の所望なれども、今その然らずして恰も国家の功臣を以て傲然自から居るがごとき、必ずしも窮屈なる三河武士の筆法を以て弾劾するを須たず、世界立国の常情に訴えて愧るなきを得ず。啻に氏の私の為めに惜しむのみならず、士人社会風教の為め・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
出典:青空文庫