・・・ 昔の道徳、これは無論日本での御話ですから昔の道徳といえば維新前の道徳、すなわち徳川氏時代の道徳を指すものでありますが、その昔の道徳はどんなものであるかと云うと、あなた方も御承知の通り、一口に申しますと、完全な一種の理想的の型を拵えて、・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・近くは三十年前の王政維新は、徳川政府の門閥圧制を厭うて其悪弊を矯めんとし、天下に大波瀾を起して其結果遂に目出度く新日本を見たることなり。当時若し社会の秩序云々に躊躇したらんには、吾々日本国民は今日尚お門閥の下に匍匐することならん。左れば今婦・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ これに反して上士は古より藩中無敵の好地位を占るが為に、漸次に惰弱に陥るは必然の勢、二、三十年以来、酒を飲み宴を開くの風を生じ(元来飲酒会宴の事は下士に多くして、上士は都て質朴、殊に徳川の末年、諸侯の妻子を放解して国邑に帰えすの令を出し・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・『新古今』は客観的叙述において著く進歩しこの集の特色を成ししも、以後再び退歩して徳川時代に及ぶ。徳川時代にては俳句まず客観的叙述において空前の進歩をなし、和歌もまたようやくに同じ傾向を現ぜり。されども歌人皆頑陋褊狭にして古習を破るあたわず、・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
日本に、言葉の正しい由緒にしたがっての、アカデミア、アカデミズムというものが在るのだろうか。徳川幕府のアカデミアであった林氏の儒学とそのアカデミズムとは、全く幕府の権力に従属した一つの思想統制のシステムであった。幕末の、進・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・過去十数年の間、ひどい時期には、この赤茶色の本は、たとえ一冊でも、徳川時代の禁書のように天皇制権力の目からかくされた。そして、かくされればかくされるほど、それは人々の生活の奥へもぐり、現実によってその理論の真実をたしかめられつつ思想の底にし・・・ 宮本百合子 「生きている古典」
・・・に前後を囲ませ、南より北へ歩みを運ぶ春とともに、江戸を志して参勤の途に上ろうとしているうち、はからず病にかかって、典医の方剤も功を奏せず、日に増し重くなるばかりなので、江戸へは出発日延べの飛脚が立つ。徳川将軍は名君の誉れの高い三代目の家光で・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 万治元戊戌年十二月二日興津弥五右衛門華押 皆々様 この擬書は翁草に拠って作ったのであるが、その外は手近にある徳川実記と野史とを参考したに過ぎない。皆活板本で実記は続国史大系本である。翁草に興津が殉死したのは三・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
歌舞伎芝居や日本音曲は、徳川時代に完成せられたものからほとんど一歩も出られない。もし現在の日本に劇や音楽の革新運動があるとすれば、それは西欧の伝統の輸入であって、在来の日本が生み出したものの革新ではない。それに比べると日本画には内から・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・ 慶長の末ごろに小幡景憲が『甲陽軍鑑』を書いたのであったとすれば、そのころにもう徳川家康の新しい文教政策は始まっていたのである。この政策の核心は、日本人に対する精神的指導権を、仏教から儒教に移した、という点にあるであろう。かかる政策・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫