・・・ザックの逞しいあらくれの手を忘れ、こそこそと小河で手をみそいでばかりいて皮膚の弱くなる潔癖は、立小便すべからずの立札にも似て、百七十一も変名を持ったスタンダールなどが現れたら、気絶してしまうほどの弱い心臓を持ちながら、冷水摩擦で赤くした貧血・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ヒロポンは不思議に効いたが、心臓をわるくするのと、あとの疲労が激しいので、三日に一度も打てない。しかし、仕事のことを考えると、そうも言っておれないので、結局悪いと思い乍ら、毎日、しかも日によっては二回も三回も打つようになる。その代り、葡萄糖・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・銃劒が心臓の真中心を貫いたのだからな。それそれ軍服のこの大きな孔、孔の周囲のこの血。これは誰の業? 皆こういうおれの仕業だ。 ああ此様な筈ではなかったものを。戦争に出たは別段悪意があったではないものを。出れば成程人殺もしようけれど、如何・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・その時、医師の言われるには、これは心臓嚢炎といって、心臓の外部の嚢に故障が出来たのですから、一週間も氷で冷せばよくなりますとのことで、昼夜間断なく冷すことにしました。 其の頃は正午前眼を覚しました。寝かせた儘手水を使わせ、朝食をとらせま・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・そしてそれがまごうかたなく自分の秘かに欲していた情景であることを知ったとき、彼の心臓はにわかに鼓動を増した。彼はじっと見ていられないような気持でたびたび眼を外らせた。そしてそんな彼の眼がふと先ほどの病院へ向いたとき、彼はまた異様なことに眼を・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 彼は、一時に心臓の血が逆立ちして、思わず銃を持ち直した。すぐ様、火蓋を切ったものか、又は、様子をうかがったものか、瞬間、迷った。ほかの七人も棒立ちになって、一人の中山服を見つめた。若し、支那兵が一人きりなら、それを片づけるのは訳のない・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・そしてそこにあった座布団を二つに折ると×××× 龍介はきゅうに心臓がドキンドキンと打つのを感じた。「ばか、俺は何もするつもりじゃないんだ」彼は少しどもった。女は初め本当にせず、×××××。龍介はだまって立っていた。「本当?」「本・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・暮に兄の仕立屋へ障子張の手伝いに出掛け、それから急に床に就き、熱は肺から心臓に及び、三人の医者が立会で心臓の水を取った時は四合も出た。四十日ほど病んで死んだ。こう学士が立話をすると、土地から出て植物学を専攻した日下部は亡くなった生徒の幼少い・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ いうまでもなくこの大災害は、精神的にも物質的にも、全日本そのものの心臓をつきさされたにひとしい大被害です。単に物質だけの百一億円の損害でも、日露戦争の費用の五倍以上にあたり、全国富の十分の一を失ったわけです。われわれはおたがいに協同努・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・――人の心臓であったら出血のために動かなくなってしまうほどたくさん針が布をさし通して、一縫いごとに糸をしめてゆきます――不思議な。「ママ今日私は村に行って太陽が見たい、ここは暗いんですもの」 とその小さな子が申しました。「昼過ぎ・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
出典:青空文庫