・・・かれは真鍮の棒につかまって、しかも眼を令嬢の姿から離さず、うっとりとしてみずからわれを忘れるというふうであったが、市谷に来た時、また五、六の乗客があったので、押しつけて押しかえしてはいるけれど、ややともすると、身が車外に突き出されそうになる・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・一方でまた自分の思ったような結果が出たときに、それが実は思ったとは別の原因のために生じた偶然の結果でありはしないかという可能性を吟味するというだいじな仕事を忘れる恐れがある。 頭の悪い人は、頭のいい人が考えて、はじめからだめにきまってい・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
一 私は今年四十二才になる。ちょうどこの雑誌の読者諸君からみれば、お父さんぐらいの年頃であるが、今から指折り数えると三十年も以前、いまだに忘れることの出来ないなつかしい友達があった。この話はつくりごとでないから・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
われわれはいかにするともおのれの生れ落ちた浮世の片隅を忘れる事は出来まい。 もしそれが賑な都会の中央であったならば、われわれは無限の光栄に包まれ感謝の涙にその眼を曇らして、一国の繁華を代表する偉大の背景を打目戍るであろう。もしまた・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・果はわがいる所が教場であるという事さえ忘れるらしかった。こんな時には大股で教壇を下りて余らの前へ髯だらけの顔を持ってくる。もし余らの前に欠席者でもあって、一脚の机が空いていれば、必ずその上へ腰を掛ける。そうして例のガウンの袖口に着いている黄・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・哲学は自己を否定すること、自己を忘れることを学ぶのである。この世界歴史の大転換期に当って、何処までも日本文化の根柢を掘り下げて、我々の思想は深く大なる基礎の上に築き上げられなければならない。真の行動のためには、デカルトもいう如く省察と認識と・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・詰まるところは、頼りないのが第一で、どうしても平田を忘れることが出来ないのだ。 今日限りである、今朝が別れであると言ッた善吉の言葉は、吉里の心に妙にはかなく情なく感じて、何だか胸を圧えられるようだ。 冷遇て冷遇て冷遇抜いている客がす・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・あるいは山を踰え谿に沿いあるいは吹き通しの涼しき酒亭に御馳走を食べたなどと書いてあるのを見ると、いくらか自分も暑さを忘れると同時にまたその羨ましさはいうまでもない。殊にこの紀行を見ると毎日西瓜何銭という記事があるのを見てこの記者の西瓜好きな・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・それをカムパネルラが忘れる筈もなかったのに、すぐに返事をしなかったのは、このごろぼくが、朝にも午后にも仕事がつらく、学校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、カムパネルラともあんまり物を云わないようになったので、カムパネルラがそれを知って気・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・大衆的な某誌は、その反動保守的な編輯方針の中で、色刷り插絵入りで、食い物のこと、悲歎に沈む人妻の涙話、お国のために疲れを忘れる勤労女性の実話、男子の興味をそそる筆致をふくめた産児制限談をのせて来た。 また、或る婦人雑誌はその背後にある団・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
出典:青空文庫