・・・ ここへ例の女の肩に手弱やかな片手を掛け、悩ましい体を、少し倚懸り、下に浴衣、上へ繻子の襟の掛った、縞物の、白粉垢に冷たそうなのを襲ねて、寝衣のままの姿であります、幅狭の巻附帯、髪は櫛巻にしておりますが、さまで結ばれても見えませぬのは、・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・しかし、むっちり肉のついた肩や、盛り上った胸のふくらみや、そこからなだらかに下へ流れて、一たん窪み、やがて円くくねくねと腰の方へ廻って行く悩ましい曲線は、彼女がもう成熟し切った娘であることを、はっと固唾を飲むくらいありありと示していた。・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・御了解くださるように念じあげます云々―― 終日床の中にいて、ようよう匐いでるようにして晩酌をはじめたのだったが、少し酔いの廻りかけた時分だったので、自分はその手紙を読んで何とも言えない憂鬱と、悩ましい感じに打たれた。自分の作のどうい・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
こう暑くなっては皆さん方があるいは高い山に行かれたり、あるいは涼しい海辺に行かれたりしまして、そうしてこの悩ましい日を充実した生活の一部分として送ろうとなさるのも御尤もです。が、もう老い朽ちてしまえば山へも行かれず、海へも出られないで・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ しかし、お玉が迎えに来たことは、どうやら本当らしかった。悩ましいおげんの眼には、何処までが待ちわびた自分を本当に迎えに来てくれたもので、何処までが夢の中に消えていくような親戚の幻影であるのか、その差別もつけかねた。幾度となくおげんはお・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・こんな悩ましい、言うに言われぬ一日を袖子は床の上に送った。夕方には多勢のちいさな子供の声にまじって例の光子さんの甲高い声も家の外に響いたが、袖子はそれを寝ながら聞いていた。庭の若草の芽も一晩のうちに伸びるような暖かい春の宵ながらに悲しい思い・・・ 島崎藤村 「伸び支度」
・・・ 生活の基礎が、ぐらついている不安、家族の者共に対する愛情、真当な何物かに対する憧憬等が、彼には一つ一つこういう風な区別をつけられていないだけ、それだけ混雑したひとしお悩ましい心持になって、彼等の言葉で云う心配負けにとっつかれた状態にあ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫