・・・ 亜米利加人は惜しげもなく、三百弗の小切手を一枚、婆さんの前へ投げてやりました。「差当りこれだけ取って置くさ。もしお婆さんの占いが当れば、その時は別に御礼をするから、――」 婆さんは三百弗の小切手を見ると、急に愛想がよくなりまし・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・』と云う調子で、どんな好い縁談が湧いて来ても、惜しげもなく断ってしまうのです。しかもそのまた彼の愛なるものが、一通りの恋愛とは事変って、随分彼の気に入っているような令嬢が現れても、『どうもまだ僕の心もちには、不純な所があるようだから。』など・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・だから、彼のこの虚栄心は、金無垢の煙管を愛用する事によって、満足させられると同じように、その煙管を惜しげもなく、他人にくれてやる事によって、更によく満足させられる訳ではあるまいか。たまたまそれを河内山にやる際に、幾分外部の事情に、強いられた・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・が、同情は昔とちがって、惜しげもなくその美しい文章に注がれるが、しかも樗牛と自分との間には、まだ何かがはさまっている。それは時代であろうか。いや、それはただ、時代ばかりであろうか。――自分はこう自分に問いかけた時、手もとにない樗牛の本が改め・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・泣き笑いと怒りと入れ交ったような口惜しげな父の眼も烈しく彼を見込んでいた。そして極度の侮蔑をもって彼から矢部の方に向きなおると、「あなたひとつお願いしましょう、ちょっと算盤を持ってください」 とほとほと好意をこめたと聞こえるような声・・・ 有島武郎 「親子」
・・・それは何の苦もなくいわば余分の収入として得たるものとはいえ、万という金を惜しげもなく散じて、僕らでいうと妻子と十日の間もあい離れているのはひじょうな苦痛である独居のさびしみを、何の苦もないありさまに振舞うている。そういう君の心理が僕のこころ・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・染めぬいた紺の絣に友禅の帯などを惜しげもなくしめてきりっと締まった、あの姿で手のさえるような仕事ぶり、ほんとに見ていても気が晴々する。なんでも人は仕事が大事なのだから、若いものは仕事に見えするのはえいこった。休日などにべたくさ造りちらかすの・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・と、雲は、名残惜しげに別れを告げました。「ありがとうございました。」と、まりは、お礼をいいました。 やがて、夜が明け放れると、やぶの中へ朝日がさし込みました。小鳥は木の頂で鳴きました。そして、ぼけの花が、真紅な唇でまりを接吻してくれ・・・ 小川未明 「あるまりの一生」
・・・琴の主はなお惜しげもなく美しき声を送れり。 客はさる省の書記官に、奥村辰弥とて売出しの男、はからぬ病に公の暇を乞い、ようやく本に復したる後の身を養わんとて、今日しもこの梅屋に来たれるなり。燦爛かなる扮装と見事なる髭とは、帳場より亭主を飛・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・そこには、死者が、しょっちゅうあこがれていた太陽の光が惜しげなく降り注いでいた。死者の女房は、群集の中から血なまぐさい担架にすがり寄った。「千恵子さんのおばさん死んだの。」「これ! だまってなさい!」 無心の子供を母親がたしなめ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
出典:青空文庫