・・・淑貞の窈窕たる体には活溌な霊魂が投げ入れられて、豊満になった肉体とともに、冗談を云う娘となって来た。 二十八年間を中国に暮したC女史にとって、故郷の天気は却って体に合わなくなっている。C女史はものうくベッドにもたれていた。軽快な足どりで・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・ 若い女が素朴に恋に身を投げ入れず、そういう点を観察することが小市民の世わたりの上で賢いとされた時代もあった。いわゆる人物本位ということと将来の立身出世が同じ内容で、選択の標準となり得た時代も遠い過去にはあった。けれども今日の大多数の青・・・ 宮本百合子 「若き世代への恋愛論」
・・・すぐに跡から小形の手桶に柄杓を投げ入れたのを持って出た。手桶からは湯気が立っている。先っきの若い男が「や、閼伽桶」と叫んだ。所謂閼伽桶の中には、番茶が麻の嚢に入れて漬けてあったのである。 この時玄関で見掛けた、世話人らしい男の一人が、座・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・ お豊さんは台所の棚から手桶をおろして、それを持ってそばの井戸端に出て、水を一釣瓶汲み込んで、それに桃の枝を投げ入れた。すべての動作がいかにもかいがいしい。使命を含んで来たご新造は、これならば弟のよめにしても早速役に立つだろうと思って、・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・十八の正月に『倫敦塔』を読んで以来書きたかった手紙を、私は二十五の秋にやっと先生にあてて書いて、それを郵便箱に投げ入れてから芝居に行った。私の胸にはまだその手紙を書いた時の興奮が残っていた。その時に廊下で先生に紹介された。それまでかつて芝居・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫