・・・はでな縞物に、海老茶の袴をはいて、右手に女持ちの細い蝙蝠傘、左の手に、紫の風呂敷包みを抱えているが、今日はリボンがいつものと違って白いと男はすぐ思った。 この娘は自分を忘れはすまい、むろん知ってる! と続いて思った。そして娘の方を見たが・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・こんなことから考えてみると、我国固有の国民思想を保存し涵養させるのでも、いつまでも源平時代の鎧兜を着た日本魂や、滋籐の弓を提げた忠君愛国ばかりを学校で教えるよりも、時にはやはり背広を着て折鞄でも抱えた日本魂をも教える方がよくはないかという気・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・お絹はもう長いあいだ独身で通してきて、大阪へ行っている大きな子息に子供があるくらいだし、すっかり色の褪せた、おひろも、辰之助の話では、誰れかの持物になっていた。抱えは二人あったけれど、芸道には熱心らしかったけれど、渋皮のむけたような子はいな・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 四 そう呟いて善ニョムさんはまた向き直って、肥料を移した手笊を抱えて、調子よく、ヒョイヒョイと掴んで撒きながら、「金の大黒すえてやろ、ホイキタホイ」 麦の芽は、新しく撒かれる肥料の下で、首を振り、顔を覗かし・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・ かつては六尺町の横町から流派の紋所をつけた柿色の包みを抱えて出て来た稽古通いの娘の姿を今は何処に求めようか。久堅町から編笠を冠って出て来る鳥追の三味線を何処に聞こうか。時代は変ったのだ。洗髪に黄楊の櫛をさした若い職人の女房が松の湯とか・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・ 太十はいきなり犬を引っつるように左手で抱えた。「見やがれ殺しはぐりあるもんか」 犬殺しは毒ついて行ってしまった。太十の怒った顔は其時恐ろしかった。赤は抱かれて後足をだらりと垂れて首をすっと低くして居た。荒繩で括った麻の空袋を肩・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・その上に三重吉が大きな箱を兄き分に抱えている。五円札が文鳥と籠と箱になったのはこの初冬の晩であった。 三重吉は大得意である。まあ御覧なさいと云う。豊隆その洋灯をもっとこっちへ出せなどと云う。そのくせ寒いので鼻の頭が少し紫色になっている。・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・ 小林は、秋山を放り出して、頭の鉢を抱えた。 ドーン、バーン、ドドーンー 発破は機関銃のように続いて、又は速射砲のようにチョット間を置いて、鳴り続けた。 やがて、発破は鳴り止んだ。 海抜二千尺、山峡を流るる川は、吹雪の唸・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・この風呂に入り給えと勧められてそのまま湯あみすれば小娘はかいがいしく玉蜀黍の殻を抱え来りて風呂にくべなどするさまひなびたるものから中々におかし。 唐きびのからでたく湯や山の宿 奥の一間に請ぜられすすびたる行燈の陰に餉したため終れ・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ 私もしばらくは耐えて膝を両手で抱えてじっとしていましたけれどもあんまり蜂雀がいつまでもだまっているもんですからそれにそのだまりようと云ったらたとえ一ぺん死んだ人が二度とお墓から出て来ようたって口なんか聞くもんかと云うように見えましたの・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
出典:青空文庫