・・・銃は、真直に、形正しく、鼻のさきへ持ち上げることが出来なかった。 中隊長は、不満げに、彼を睨んだ。「も一度。そんな捧げ銃があるか!」その眼は、そう云っているようだった。 松木は、息切れがして、暫らくものを云うことが出来なかった。鼻孔・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・蒲団をたたむ。蒲団を持ち上げるとき、よいしょ、と掛声して、はっと思った。私は、いままで、自分が、よいしょなんて、げびた言葉を言い出す女だとは、思ってなかった。よいしょ、なんて、お婆さんの掛声みたいで、いやらしい。どうして、こんな掛声を発した・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・満槽の湯は一度に面喰って、槽の底から大恐惶を持ち上げる。ざあっざあっと音がして、流しへ溢れだす。「ああいい心持ちだ」と圭さんは波のなかで云った。「なるほどそう遠慮なしに振舞ったら、好い心持に相違ない。君は豪傑だよ」「あの隣りの客・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ そして、俺ら世界のプロレタリアート、ソヴェトの文化を、持ち上げるんだ。アメリカを追いぬくのは俺たちじゃない。こういうチビ共だ!と云った。父さんの声に深い感動がこもっていて、ミーチャは重い掌の下で嬉しいような、おっかないような気になった・・・ 宮本百合子 「楽しいソヴェトの子供」
・・・さも悪者らしく、巻煙草の横くわえで、のっそりのっそり両手をパンツの衣嚢に肩をそびやかして横行するところから、あの両肱をぐいと持ち上げる憎さげなシュラッギングまで。堪らず私を笑わせたのは、そんな悪漢まがいの風体をしながら、肩つきにしろ、体つき・・・ 宮本百合子 「茶色っぽい町」
・・・コップを持ち上げる毎に、寛い紅い袖がずって深く白い腕が見えた。彼女の部屋着はもう着くずされている。それが却って可愛ゆく、覆われている肉体の若々しい艶を引きたてるようであった。――レオニード・グレゴリウィッチは、愛情をこめ、素早く妻を目がけ接・・・ 宮本百合子 「街」
出典:青空文庫