・・・敗を期しながらも、武士道の為めに敢て一戦を試みたることなれば、幕臣また諸藩士中の佐幕党は氏を総督としてこれに随従し、すべてその命令に従て進退を共にし、北海の水戦、箱館の籠城、その決死苦戦の忠勇は天晴の振舞にして、日本魂の風教上より論じて、こ・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・それから立居振舞も気が利いていて、風采も都人士めいている。「それに第一流の大家と来ている」と、オオビュルナンは口の内で詞に出して己を嘲った。 自動車が止まった。オオビュルナンは技手に待っていろと云って置いて、しずかに車を下りてロメエヌ町・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・はたしてしかりとすれば蕪村は傍若無人の振舞いをなしたる者と謂うべし。しかれども百年後の今日に至りこの語を襲用するもの続々として出でんか、蕪村の造語はついに字彙中の一隅を占むるの時あらんも測りがたし。英雄の事業時にかくのごときものあり。 ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・どの子もみんな、そのうちのお振舞によばれて来たのです。 ぐるぐるぐるぐる、まわってあそんでおりました。 そしたらいつか、十一人になりました。 ひとりも知らない顔がなく、ひとりもおんなじ顔がなく、それでもやっぱり、どう数えても十一・・・ 宮沢賢治 「ざしき童子のはなし」
・・・ひとりでの力につき動かされてしている自分の振舞いに心付いて、私は幾千の手がこの忘れること難い金色の口に触れたかを思った。生きて強壮な人々は、平和のための会議を何故風光明媚なジェネの湖畔でだけ開くのであろう。 やがてそろそろ薄闇の這いよっ・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・このような些細なことに現れる不自由は、作家としての彼に闊達な振舞を内面的にも外部的にも拘束しがちであったろう。ドイツではゲーテが宰相であれ程の文学者であったというような例は、事情の違う日本では現在までの歴史の性質に於ては有り得ないのが自然と・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・ 坂口安吾の文学は、毎月彼と関係のあるジャーナリストを呼んで大盤振舞いをするほど繁昌しています。田村泰次郎氏の肉体主義は彼にりっぱな邸宅を買わせたと新聞に出ました。戦災者や引揚者が住むに家なく警察の講堂に検束される形でやっと雨露をしのぐ・・・ 宮本百合子 「一九四七・八年の文壇」
・・・それから弥一右衛門の追腹、家督相続人権兵衛の向陽院での振舞い、それがもとになっての死刑、弥五兵衛以下一族の立籠りという順序に、阿部家がだんだん否運に傾いて来たので、又七郎は親身のものにも劣らぬ心痛をした。 ある日又七郎が女房に言いつけて・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・苛々したような起居振舞をする。それにいつものような発揚の状態になって、饒舌をすることは絶えて無い。寧沈黙勝だと云っても好い。只興奮しているために、瑣細な事にも腹を立てる。又何事もないと、わざわざ人を挑んで詞尻を取って、怒の動機を作る。さて怒・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ 家康は本多を顧みて、「もうよい、振舞いの事を頼むぞ」と言った。これは家康がこの府中の城に住むことにきめて沙汰をしたのが今年の正月二十五日で、城はまだ普請中であるので、朝鮮の使の饗応を本多が邸ですることに言いつけておいたからである。・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
出典:青空文庫