・・・のみならず信徒も近頃では、何万かを数えるほどになった。現にこの首府のまん中にも、こう云う寺院が聳えている。して見ればここに住んでいるのは、たとい愉快ではないにしても、不快にはならない筈ではないか? が、自分はどうかすると、憂鬱の底に沈む事が・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・人は彼の戯曲の中に、愛蘭土劇の与えた影響を数える。しかしわたしはそれよりも先に、戯曲と云わず小説と云わず、彼の観照に方向を与えた、ショオの影響を数え上げたい。ショオの言葉に従えば、「あらゆる文芸はジャアナリズムである。」こう云う意識があった・・・ 芥川竜之介 「「菊池寛全集」の序」
・・・ジャンと来て見ろ、全市瓦は数えるほど、板葺屋根が半月の上も照込んで、焚附同様。――何と私等が高台の町では、時ならぬ水切がしていようという場合ではないか。土の底まで焼抜けるぞ。小児たちが無事に家へ帰るのは十人に一人もむずかしい。 思案に余・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ 人、馬、時々飛々に数えるほどで、自動車の音は高く立ちながら、鳴く音はもとより、ともすると、驚いて飛ぶ鳥の羽音が聞こえた。 一二軒、また二三軒。山吹、さつきが、淡い紅に、薄い黄に、その背戸、垣根に咲くのが、森の中の夜があけかかるよう・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 僕は小学校を卒業したばかりで十五歳、月を数えると十三歳何ヶ月という頃、民子は十七だけれどそれも生れが晩いから、十五と少しにしかならない。痩せぎすであったけれども顔は丸い方で、透き徹るほど白い皮膚に紅味をおんだ、誠に光沢の好い児であった・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 二十五年前には日本の島田や丸髷の目方が何十匁とか何百匁とかあって衛生上害があるという理由で束髪が行われ初め、前髪も鬢も髦も最後までが二十七年、頼政の旗上げから数えるとたった六七年である。南朝五十七年も其前後の準備や終結を除いた正味は二・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・だれひとり、道を聞くものもなけりゃ、銭をくれるものも数えるほどしかなかった。分けまえどころか、おまえから昨日の分けまえをもらわなけりゃ、埋め合わせがつかない。それがいやなら、この宿からさっさと外へ出てゆけ。」と、怖ろしい目つきをしてにらみま・・・ 小川未明 「石をのせた車」
一 根本的用意とは何か 一概に文章といっても、その目的を異にするところから、幾多の種類を数えることが出来る。実用のための文書、書簡、報道記事等も文章であれば、自己の満足を主とする紀行文、抒情叙景文、論文等も文章である。 こゝ・・・ 小川未明 「文章を作る人々の根本用意」
・・・あると私が思うのは、これらの文楽の芸人たちがその血の出るような修業振りによっても、また文楽以外に何の関心も興味も持たずに阿呆と思えるほど一途の道をこつこつ歩いて行くその生活態度によっても、大阪に指折り数えるほどしか見当らぬ風変りな人達である・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ 四十時間一睡もせずに書き続けて来た荒行は、何か明治の芸道の血みどろな修業を想わせるが、そんな修業を経ても立派な芸を残す人は数える程しかいない。たいていは二流以下のまま死んで行く。自分もまたその一人かと、新吉の自嘲めいた感傷も、しかしふ・・・ 織田作之助 「郷愁」
出典:青空文庫