・・・平家づくりで、数奇な亭構えで、筧の流れ、吹上げの清水、藤棚などを景色に、四つ五つ構えてあって、通いは庭下駄で、おも屋から、その方は、山の根に。座敷は川に向っているが、すぐ磧で、水は向う岸を、藍に、蒼に流れるのが、もの静かで、一層床しい。籬ほ・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・無産派作家は、どうして、こうした数奇な生活が、特種の人達にのみ送られるかを更に深く考えなければならない。そして、筋に捕われてはならない。妥協してはならない。飽迄も良心のまゝに疑わなければならない。今、私達の文壇の弊は、この最も正直に、疑わな・・・ 小川未明 「何を作品に求むべきか」
・・・「人に驚かして貰えばしゃっくりが止るそうだが、何も平気で居て牛肉が喰えるのに好んで喫驚したいというのも物数奇だねハハハハ」と綿貫はその太い腹をかかえた。「イヤ僕も喫驚したいと言うけれど、矢張り単にそう言うだけですよハハハハ」「唯・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 十、物事に数奇好みなし。十一、居宅に望なし。十二、身一つに美食を好まず。十三、旧き道具を所持せず。十四、我身にとり物を忌むことなし。十五、兵具は格別、余の道具たしなまず。十六、道にあたって死を厭わず。十七、・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・ホワイトナイルの岸べに生まれたある黒んぼ少年の数奇な冒険生涯を物語る続きものの映画を中学校の某先生が黄色い声で説明したものである。それからずっと後の事ではあるが日清戦争時代にもしばしば「幻燈会」なるものが劇場で開かれて見に行った。県出身の若・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・しかし今になって考えてみると、かなり数奇の生涯を体験した政客であり同時に南画家であり漢詩人であった義兄春田居士がこの芭蕉の句を酔いに乗じて詠嘆していたのはあながちに子供らを笑わせるだけの目的ではなかったであろうという気もするのである。そうし・・・ 寺田寅彦 「思い出草」
・・・ 子供の時から僧になった人とちがって、北面武士から出発し、数奇の実生活を経て後に頭を丸めた坊主らしいところが到る処に現われている。そうしてそういう人間が、全く気任せに自由に「そこはかとなく」「あやしう」「ものぐるほしく」矛盾も撞着も頓着・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・もちろん天稟の素質もあったに相違ないが、また一方数奇の体験による試練の効によることは疑いもない事である。殿上に桐火桶を撫し簾を隔てて世俗に対したのでは俳人芭蕉は大成されなかったに相違ない。連歌と俳諧の分水嶺に立った宗祇がまた行脚の人であった・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・があれは生活上別段必要のある場所にある訳でもなければまたそれほど大切な器械でもない、まあ物数奇である。ただ上ったり下ったりするだけである。疑もなく道楽心の発現で、好奇心兼広告欲も手伝っているかも知れないが、まあ活計向とは関係の少ないものです・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・「そんな困難をして飯を食ってるのは情ない訳だ、君が特別に数奇なものが無いから困難なんだよ。二個以上の物体を同等の程度で好悪するときは決断力の上に遅鈍なる影響を与えるのが原則だ」とまた分り切った事をわざわざむずかしくしてしまう。「味噌・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
出典:青空文庫