・・・こういう公園を散歩するのは三重子とどこかへ出かけるよりも数等幸福といわなければならぬ。…… 二時二十分! もう十分待ちさえすれば好い。彼は帰りたさをこらえたまま、標本室の中を歩きまわった。熱帯の森林を失った蜥蜴や蛇の標本は妙にはかなさを・・・ 芥川竜之介 「早春」
・・・医者のほうが患者よりも、数等みじめな生活をしている。いっそ患者になりてえくらいだった。ああ、実に面白くない。みじめだ。奥さん、あなたなんか、いいほうですよ。」「ええ、そうね。」 と奥さまは、いそいで相槌を打ち、「そう思いますわ。・・・ 太宰治 「饗応夫人」
・・・こういう意味では音楽自身よりもこうした音楽映画は数等複雑多様なディメンションをもった芸術であると思われる。 四 その夜の真心 前説と同様な意味で、この映画はたとえ何十回競馬を見物に行っても味わうことの六かしいと思わ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・こんな幼稚なものでも当時の子供に与えた驚異の感じは、おそらくはラジオやトーキーが現代の少年に与えるものよりもあるいはむしろ数等大きかったであろう。一から見た十は十倍であるが、百から見た同じ十はわずかに十分の一だからである。今の子供はあまりに・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ものではなくて、創作欄にあるものでも、ほとんど内容的に身辺の雑事を描写した随筆的なものもあり、また反対に、随筆と銘打ったものでも、その中には、ある人間の一群の内部生活の機微なる交錯が平凡な小説などより数等深刻にしかも巧妙な脚色をもって描かれ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・そうすればこの赤露の絵本などよりは数等すぐれた、もっと科学的に有効適切で、もっと芸術的にも立派なものができるであろうと思われる。そういう仕事は決して一流の芸術家を恥ずかしめるものではあるまいと信ずるのである。科学国の文化への貢献という立場か・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・連句は音楽よりも次元的に数等複雑な音楽的構成から成立している。音と音との協和不協和よりも前句と付け句との関係は複雑である。各句にすでに旋律があり和音があり二句のそれらの中に含まれる心像相互間の対位法的関係がある。連歌に始まり俳諧に定まった式・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ けれ共、時と云う偉大なもの――人間より数等力強いものに司(配されなければならない私共は、忘れまいとしても時がその信じ切った力で忘れさせて仕舞うだろう。 情なくも時の力で忘れた時も尚その文字を見たならその時の気持に返れるだろうと私は・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・彼らに内在するあらゆる自然発生的中流的素質は、老大国の首府に暮すうち数等政治的年功を積み、実利主義によってきたえられたイギリス中流的秩序によって言語とともに整理される。英国人の他人種に馴れる馴れ方はフランス人の馴れ方と違う。英国人が或他人種・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫