・・・ 当時の欧化は木下藤吉郎が清洲の城を三日に築いたと同様、外見だけは如何にも文物燦然と輝いていたが、内容は破綻だらけだった。仮装会は啻だ鹿鳴館の一夕だけでなくて、この欧化時代を通ずる全部が仮装会であった。結局失態百出よりは滑稽百出の喜劇に・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ 大正改元の翌年市中に暴動が起った頃から世間では仏蘭西の文物に親しむものを忌む傾きが著しくなった。たしか『国民新聞』の論説記者が僕を指して非国民となしたのもその時分であった。これは帰朝の途上わたくしが土耳古の国旗に敬礼をしたり、西郷隆盛・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・よってもってわが邦の制度文物、異日必ずまさになるべき云々の状を論ず。すこぶる精微を極め、文辞また婉宕なり。大いに世の佶屈難句なる者と科を異にし、読者をして覚えず快を称さしむ。君齢わずかに二十四、五。しかるに学殖の富衍なる、老師宿儒もいまだ及・・・ 中江兆民 「将来の日本」
・・・久内の安心立命、模索の態度を認め、更に「わが国の文物の発展が何といっても茶法に中心を置いて進展してきている以上は、精神の統一の仕方は利休に帰ってみることがまず何よりの近路に相違ない」「なるほど、茶法の極意を和敬清寂と利休のいったのに対して、・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
日本の文学者では、夏目漱石や鴎外などまでが、自身の文学的教養の中に中国文化のあるものを消化していたのだろうと思う。私たちの時代になると、伝統的な中国の文物については教養的に不足して来ているし、実際の生活感情からも遠くなって・・・ 宮本百合子 「中国文化をちゃんと理解したい」
・・・ まるで、風土文物の異った封建時代の王国の様に、両家の子供をのぞいた外の者は、垣根一重を永劫崩れる事のない城壁の様にたのんで居ると云う風であった。 けれ共子供はほんとに寛大な公平なものだとよく思うが、親父さんに、「おい又行く・・・ 宮本百合子 「二十三番地」
・・・ 漱石は、飾らない言葉で一面では日露戦争後の日本人の盲目的なヨーロッパ崇拝を罵倒し、他の一面ではヨーロッパの文物にある俗物根性を批判した。より高い人間的水準の上に立つものとしての知識人の矜恃を求めている。漱石の自覚にあった、このより高い・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
出典:青空文庫