多少のアブセンス・オブ・マインドというのは、誰にもあることである。あるのが普通といってよかろう。しかし私は可なり念入のアブセンス・オブ・マインドをやったことがある。今に思出しても、自分で可笑しくなるのである。 それは私・・・ 西田幾多郎 「アブセンス・オブ・マインド」
・・・だが日本で普通に言はれてるやうな範疇の詩人にも、また勿論ニイチェは理解されない。だがその二つの資格をもつ読者にとつて、ニイチェほど興味が深く、無限に深遠な魅力のある著者は外にない。ニイチェの驚異は、一つの思想が幾つも幾つもの裏面をもち、幾度・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・料理法は釣る方とは関係がちがうから省くが、河豚釣りに行っても、普通の魚のように、釣りあげてすぐ、船の上でサシミにしたり、焼いたり煮たりなどしては食べないのである。食べる人もあるが、それは食通とはいえない。イイダコ カニやイイ・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・貴方は死んで呉れちゃいやですよ。決して死ぬんじゃありませんよ。貴方は普通の兵士ですよ。戦争の時、死ぬ為に、平生から扶持を受けてる人達とは違ってよ。兄さん自分から好んで、』 強い咳払いを一つ、態と三つまで続けて、其女の方の言葉を紛らそうと・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・斯く無造作に書並べて教うれば訳けもなきようなれども、是れが人間の天性に於て出来ることか出来ぬことか、人間普通の常識常情に於て行われることか行われぬことか、篤と勘考す可き所なり。実際に出来ぬことを勧め、行われぬことを強うるは、元々無理なる注文・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・というのは、当時の語学校はロシアの中学校同様の課目で、物理、化学、数学などの普通学を露語で教える傍ら、修辞学や露文学史などもやる。所が、この文学史の教授が露国の代表的作家の代表的作物を読まねばならぬような組織であったからである。 する中・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・最も普通の俳優はこんな時「それではあんまり不自然で引っ込みにくいから、相手になんとか言わせてくれ」と、作者に頼むのが例になっている。 ―――――――――――――――――――― 愛する友よ、あなたがもう返事をするに・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・これも物語などにありて普通の歌に用いざる語を用いたるほかに何の珍しきこともあらぬなり。最後に橘曙覧の『志濃夫廼舎歌集』を見て始めてその尋常の歌集に非ざるを知る。その歌、『古今』『新古今』の陳套に堕ちず真淵、景樹のかきゅうに陥らず、『万葉』を・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・その色はずいぶんさまざまだ。普通の焚火の焔なら橙いろをしている。けれども木によりまたその場処によっては変に赤いこともあれば大へん黄いろなこともある。硫黄を燃せばちょっと眼のくるっとするような紫いろの焔をあげる。それから銅を灼くときは孔雀石の・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・役所は、小さな区役所から内閣まで、一度で用のすまないのが普通です。云ってみれば、これまでの私たちには、自分で自分がままならず、自分で自分のことがすっかり分ってもいなかったのです。従って、日本人の返事の曖昧さは、世界でおどろかれる特徴の一つと・・・ 宮本百合子 「新しい躾」
出典:青空文庫