一 去年の八月頃のことであった。三日ばかり極端に暑気のはげしい日がつづいた。日の当らないところに坐っていても汗が体から流れてハンケチなんか忽ち水でしぼったようになった。その時の私の生活状態は特別な・・・ 宮本百合子 「芸術が必要とする科学」
・・・「仮装平時閲兵のために、暑気あたりに苦しんでそこに卒倒した不幸な若い婦人をそのまま放っておくほど、大英国の軍規はきびしいのだろうか」 すっきりとした初夏の服装で、大きめのハンド・バッグを左腕にかけ、婦人兵士の最後の列の閲兵を終ろうとして・・・ 宮本百合子 「権力の悲劇」
・・・なかなか暑気が厳しいがいかがですか。盗汗は出ませんか。熱は? きょう中川によって昨今のまま一ヵ月お弁当をつづけておきました。夜具も持ってかえりましたが、あれではこの冬お寒かったのではなかったかと思いました。やっぱり細かいところが御不自由であ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ これは、愚にもつかないふざけだが、やかましさで苦しむ苦しさは持続的で、頭を疲らせた。暑気が加わると、騒音はなおこたえた。私は困ったと思いながら、それなり祖母の埋骨式に旅立ったのであった。 フダーヤは、別に何とも云ってはいなかったの・・・ 宮本百合子 「この夏」
暑気にあたって、くず湯をたべタオルで汗を拭きながら、本庄陸男さんの死について考えていた。 先頃平林彪吾さんが死なれたときも、様々な感想にうたれたのであったが、本庄さんが「石狩川」一篇をのこして、その出版と殆ど同時に・・・ 宮本百合子 「作家の死」
・・・ 暑気が厳しい夏であった。食慾がまるで無くなるような日が風の吹きぬける家にいてもあった。或る朝、新聞と一緒に一葉のハガキが卓子にのっていた。「忙中ながら、右御通知まで。小畑 千鶴子」 逆に読みなおしたら、千鶴子の母の死去通知・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・つい目の先に桜島を泛べ、もうっと暑気で立ちこめた薄靄の下に漣一つ立てずとろりと輝いていた湾江、広々と真直であった城下の街路。人間もからりと心地よく、深い好意を感じたが、思い出すと、微に喉の渇いたような、熔りつけられた感覚が附随して甦って来る・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・七月二十日すぎ、その年の例外的な暑気と女監の非衛生な条件から、熱射病にかかり、人事不省になった。生きられないものとして運び出されて家へ帰った。三日後少しずつ意識回復した。しかし視力を失い、言語障害がおこり、翌〔々〕年春おそくはじめて巣鴨へ面・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・その茶色の古畳の上にも、ベッドの上にも机の上にも、竹すだれで遮りきれない午後の西日が夕方まで暑気に燃えていた。その座敷は、目には見えないほこりが焦げる匂いがしていた。救いようなく空気は乾燥していた。そして、西日は実に眩しかった。 それは・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・ やがてそろそろ朝日に暑気が加って肌に感じられる時刻になると、白いルバーシカ、白い丸帽子やハンティングが現れ、若い娘たちの派手な色のスカートも翻って、胡瓜の青さ、トマトの赤さ、西瓜のゆたかな山が到るところで目について来る。 ロシヤの・・・ 宮本百合子 「モスクワ」
出典:青空文庫