・・・…… 野呂松人形は、そうある事を否定する如く、木彫の白い顔を、金の歩衝の上で、動かしているのである。 狂言は、それから、すっぱが出て、与六を欺し、与六が帰って、大名の不興を蒙る所で完った。鳴物は、三味線のない芝居の囃しと能の囃しとを・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・ 時に、勿体ないが、大破落壁した、この御堂の壇に、観音の緑髪、朱唇、白衣、白木彫の、み姿の、片扉金具の抜けて、自から開いた廚子から拝されて、誰が捧げたか、花瓶の雪の卯の花が、そのまま、御袖、裳に紛いつつ、銑吉が参らせた蝋燭の灯に、格天井・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・金、極彩色の、……は、そちらの素木彫の。……いや、何といたして、古人の名作。ど、ど、どれも諸家様の御秘蔵にござりますが、少々ずつ修覆をいたす処がありまして、お預り申しておりますので。――はい、店口にござります、その紫の袈裟を召したのは私が刻・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・僕の木彫だって難関は有る。せっかくだんだんと彫上げて行って、も少しで仕上になるという時、木の事だから木理がある、その木理のところへ小刀の力が加わる。木理によって、薄いところはホロリと欠けぬとは定まらぬ。たとえば矮鶏の尾羽の端が三分五分欠けた・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・と笑ったきり、何時までも顔の様子をかえず、にッたりを木彫にしたような者に「にッたり」と対っていられて、憎悪も憤怒も次第に裏崩れして了った。実に怒る者は知る可し、笑う者は測るべからず、である。求むる有るものは弱し、恐るるに足らず、求むる無・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ お三輪は椅子を離れて、木彫の扁額の掛けてある下へも行って見た。新七に言わせると、その額も広瀬さんがこの池の茶屋のために自分で書き自分で彫ったものであった。お三輪はまた、めずらしい酒の瓶が色彩として置いてあるような飾棚の前へも行って見た・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・マントルピイスには、下手な木彫が一つぽつんと置かれている。ソファには、豹の毛皮が敷かれてある。椅子もテエブルも絨氈も、みんな昔のままであった。私は洋室をぐるぐると歩きまわり、いま涙を流したらウソだ、いま泣いたらウソだぞ、と自分に言い聞かせて・・・ 太宰治 「故郷」
・・・美しい毛氈がいつでも敷いてあって、欄間に木彫の竜の眼が光っていた。 いつか信さんの部屋へ遊びに行った時、見馴れぬ絵の額がかかっていた。何だと聞いたら油画だと云った。その頃田舎では石版刷の油画は珍しかったので、西洋画と云えば学校の臨画帖よ・・・ 寺田寅彦 「森の絵」
・・・この櫃には木彫の装飾をなしあり。櫃の上に古風なる楽器数個あり。伊太利亜名家の画ける絵のほとんど真黒になりたるを掛けあり。壁の貼紙は明色、ほとんど白色にして隠起せる模様及金箔の装飾を施せり。主人クラウヂオ。(独窓の傍に座しおる。夕陽夕・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ウラジーミル大公の食堂に今日一皿二十カペイキのサラダがトマトと胡瓜の色鮮やかに並び、シベリアの奥で苔の採集を仕事としている背中の丸い白い髯の小学者が妻と木彫のテーブルについているのを眺めることは絶対に不愉快でありえない、しかし、ゴーリキー自・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
出典:青空文庫