・・・ この曲の終りに近づいた頃に、誰か裏木戸の方からはいって来て縁側に近よる気はいがした。振り向いてみると花壇の前の日向に妙な男が突っ立っていた。 三十前後かと思われる背の低い男である。汚れた小倉の霜降りの洋服を着て、脚にも泥だらけのゲ・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・もし木戸松菊がいたらば――明治の初年木戸は陛下の御前、三条、岩倉以下卿相列座の中で、面を正して陛下に向い、今後の日本は従来の日本と同じからず、すでに外国には君王を廃して共和政治を布きたる国も候、よくよく御注意遊ばさるべくと凜然として言上し、・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・道の片側は鉄漿溝に沿うて、廓者の住んでいる汚い長屋の立ちつづいた間から、江戸町一丁目と揚屋町との非常門を望み、また女郎屋の裏木戸ごとに引上げられた幾筋の刎橋が見えた。道は少し北へ曲って、長屋の間を行くこと半町ばかりにして火の見梯子の立ってい・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・そして時節もだんだん暑くなるにつれ看客の木戸前に行列するような事も少くなって来た。 一座の中で裸体になる女の給金は、そうでない女たちよりも多額である。それなら誰も彼も裸体になるといいそうなものであるが、そんな競争は見られない。普通の踊子・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・亮二は思わず、つっと木戸口を入ってしまいました。すると小屋の中には、高木の甲助だの、だいぶ知っている人たちが、みんなおかしいようなまじめなような顔をして、まん中の台の上を見ているのでした。台の上に空気獣がねばりついていたのです。それは大きな・・・ 宮沢賢治 「祭の晩」
・・・裏庭と畑とは木戸と竹垣で仕切られている。 その時分、うちは樹木が多く、鄙びていた。客間の庭には松や梅、美しい馬酔木、榧、木賊など茂って、飛石のところには羊歯が生えていた。子供の遊ぶ部屋の前には大きい半分埋まった石、その石をかくすように穂・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・いきなり木戸で、入ると花が一杯縁側まで咲きこぼれていた。縁側から油障子のはまった水口が見え、その障子が開いていると、裏の生垣、その彼方の往来、そのまた先の×伯爵の邸の樫の幹まで三四本は見られる。 * お祖母さ・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・「――台処の木戸あけたかい? 今朝」「いいえ」「――昨夜、この部屋に居たのは――小幡とふきだけだね」「ええ」 何か推考する禎一の瞳と愛の眼がぴったり合った。愛は、ありあり意味を感じ小さい不安そうな声で訊いた。「――そ・・・ 宮本百合子 「斯ういう気持」
・・・ 鶏舎に面した木戸の方へ廻ると十五の子の字で、雨風にさらされて木目の立った板の面に白墨で、 花園 園主 世話人 助手人と、お清書の様にキッパリキッパリ書いてある。 微笑まずに居られない。 気がついて見る・・・ 宮本百合子 「後庭」
・・・大夫が邸の三の木戸、二の木戸、一の木戸を一しょに出て、二人は霜を履んで、見返りがちに左右へ別れた。 厨子王が登る山は由良が嶽の裾で、石浦からは少し南へ行って登るのである。柴を苅る所は、麓から遠くはない。ところどころ紫色の岩の露われている・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫