・・・そして静かに身の来し方を返り見た。 幼い時からクララにはいい現わし得ない不満足が心の底にあった。いらいらした気分はよく髪の結い方、衣服の着せ方に小言をいわせた。さんざん小言をいってから独りになると何んともいえない淋しさに襲われて、部屋の・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ 二人は来し方の一年間を思いかえした。負傷をして、脚や手を切断され、或は死んで行く兵卒を眼のあたりに目撃しつゝ常に内地のことを思い、交代兵が来て、帰還し得る日が来るのを待っていた。 交代兵は来た。それは、丁度、彼等が去年派遣されてや・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・という水禽のみ、黒み行く浪の上に暮れ残りて白く見ゆるに、都鳥も忍ばしく、父母すみたもう方、ふりすてて来し方もさすがに思わざるにはあらず。海気は衣を撲って眠り美ならず、夢魂半夜誰が家をか遶りき。 二十七日正午、舟岩内を発し、午後五時寿都と・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・活、心理、歴史への関り方を再現してゆくべきであるという自然な解釈からは脱れて、主として知識人の知性、批判力への否定のてだてとして出発して来たことは、あれほど到るところに谺していたヒューマニズムの響きの来し方として、愕きに似た感想を喚び起され・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
出典:青空文庫