・・・ またあまりに儚い。土に映る影もない。が、その影でさえ、触ったら、毒気でたちまち落ちたろう。――畷道の真中に、別に、凄じい虫が居た。 しかも、こっちを、銑吉の方を向いて、髯をぴちぴちと動かす。一疋七八分にして、躯は寸に足りない。けれ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・天を蔽い地に漲る、といった処で、颶風があれば消えるだろう。儚いものではあるけれども――ああ、その儚さを一人で身に受けたのは初路さんだね。」「ええ、ですから、ですから、おじさん、そのお慰めかたがた……今では時世がかわりました。供養のために・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ どうも人生は儚いものに違いない。理窟は抜にして真実のところは儚いものらしい。 もしはかないものでないならば、たとい人はどんな境遇に堕るとも自分が今感ずるような深い深い悲哀は感じない筈だ。 親とか子とか兄弟とか、朋友とか社会とか・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・……よくも考えないで生意気が云えたもんだ。儚い自分、はかない制限された頭脳で、よくも己惚れて、あんな断言が出来たものだ、と斯う思うと、賤しいとも浅猿しいとも云いようなく腹が立つ。で、ある時小川町を散歩したと思い給え。すると一軒の絵双紙屋の店・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・そして皆な儚い恋の小さい奥城の中に埋まってしまいました。しかしその埋まったものは何もかも口でいわれぬ程美しゅうございました。それは貴方のせいで美しかったのでございます。それなのに貴方はとうとうわたくしを無慙にも棄てておしまいなさいました。丁・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ 世間でいう相当の家庭の娘たちを集めていた女学校などというものは、結婚も所謂相当なところにされ、そのひとたちの生活が全くその規律のうちに運ばれ、やがては憔悴して、儚いところがある。同じ年の卒業生は一つの組で三十二人ほどであったが、そのな・・・ 宮本百合子 「なつかしい仲間」
・・・けれども、これらの卓抜な文学的収穫を残した婦人達が、当時の社会でどういう風に生きていたかといえば、それはまことに儚い一生であった。どんな文学史を探しても、紫式部の名前は分らない。藤原某の娘であったということが分るだけで、彼女の本名は何子であ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫