・・・ ところが寛文七年の春、家中の武芸の仕合があった時、彼は表芸の槍術で、相手になった侍を六人まで突き倒した。その仕合には、越中守綱利自身も、老職一同と共に臨んでいたが、余り甚太夫の槍が見事なので、さらに剣術の仕合をも所望した。甚太夫は竹刀・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ここにおいてか、剣術の道場を開て少年を教る者あり(旧来、徒士以下の者は、居合い、柔術、足軽は、弓、鉄砲、棒の芸を勉るのみにて、槍術、剣術を学ぶ者、甚だ稀。子弟を学塾に入れ或は他国に遊学せしむる者ありて、文武の風儀にわかに面目を改め、また先き・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ 曾祖父は堀田の青鬼と綽名された槍術家だった由。息子は体が弱くて、父である青鬼先生に佐分利流の稽古をつけられて度々卒倒するので、これは武術より学問へ進む方がよかろうということになって、二十歳前後には安井息軒についていたらしい。やがて洋学・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・しばらく戦ったが、槍術は又七郎の方が優れていたので、弥五兵衛の胸板をしたたかにつき抜いた。弥五兵衛は槍をからりと棄てて、座敷の方へ引こうとした。「卑怯じゃ。引くな」又七郎が叫んだ。「いや逃げはせぬ。腹を切るのじゃ」言いすてて座敷には・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫