・・・いる卑怯者、劣敗者の心を筆にし口にしてわずかに慰めている臆病者、暇ある時に玩具を弄ぶような心をもって詩を書きかつ読むいわゆる愛詩家、および自己の神経組織の不健全なことを心に誇る偽患者、ないしはそれらの模倣者等、すべて詩のために詩を書く種類の・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・当時の文章教育というのは古文の摸倣であって、山陽が項羽本紀を数百遍反覆して一章一句を尽く暗記したというような教訓が根深く頭に染込んでいて、この根深い因襲を根本から剿絶する事が容易でなかった。二葉亭も根が漢学育ちで魏叔子や壮悔堂を毎日繰返し、・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・伊井公侯の欧化策は文明の皮殻の模倣であったが、人心を新たにし元気を横溢せしめて新らしい文明のエポックを作った。頓挫しても新らしい文化の種子を播いたのは争えない。当時の公侯の文化主義は終に曾我の家式滑稽として終ったが、シカモこの喜劇は極めて尊・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・而してそうした生活から生れる所の芸術は、形式の芸術、模倣の芸術である。 今の文壇が平凡だというのは、必ずしも作者が平凡を以て主義としているからではない。また現代の作家が斯くの如き感激に乏しい生活に人生の深い意義を見出そうとして、ものを書・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・無名の人たちの原稿を読んでも、文章だけは見よう見真似の模倣で達者に書けているが、会話になるとガタ落ちの紋切型になって失望させられる場合が多い。小説の勉強はまずデッサンからだと言われているが、デッサンとは自然や町の風景や人間の姿態や、動物や昆・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・しかし、私は武田さんを模倣したい気はなかった。だから、今、武田さんの真似をした書出しを使うのは、私の本意ではない。しかも敢て真似をするのは、武田さんをしのぶためである。武田さんが死んだからである。してみれば、武田さんが死ななければこんな書出・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・しかし、これでは西鶴の一代女の模倣に過ぎないと思いながら、阪口楼の前まで来た。阪口楼の玄関はまだ灯りがついていた。出て来た芸者が男衆らしい男と立ち話していたが、やがて二人肩を寄せて宗右衛門町の方へ折れて行った。そのあとに随いて行き乍ら、その・・・ 織田作之助 「世相」
・・・大体われ/\の文学が軽佻で薄っぺらなのは一に東京を中心とし、東京以外に文壇なしと云う先入主から、あらゆる文学青年が東京に於ける一流の作家や文学雑誌の模倣を事とするからであって、その風潮を打破するには、真に日本の土から生れる地方の文学を起すよ・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・ 模倣というものはおかしいものである。友人の模倣を今度は自分が模倣した。自分に最も近い人の口調はかえって他所から教えられた。自分はその後に続く言葉を言わないでもただ奎吉と言っただけでその時の母の気持を生きいきと蘇えらすことができるように・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・君の作品は、十九世紀の完成を小さく模倣しているだけだ、といってしまうと、実も蓋も無くなりますが、君の作品のお手本が、十九世紀のロシヤの作家あるいはフランスの象徴派の詩人の作品の中に、たやすく発見出来るので、窮極に於いて、たより無い気がするの・・・ 太宰治 「風の便り」
出典:青空文庫