・・・自己の所信を客観化して公衆にしか認めしむべき根拠を有せざる時においてすら、彼らは自由に天下を欺くの権利をあらかじめ占有するからである。 弊害はこればかりではない。既に文芸委員が政府の威力を背景に置いて、個人的ならざるべからざる文芸上の批・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・睚眦の恨は人を欺く笑の衣に包めども、解け難き胸の乱れは空吹く風の音にもざわつく。夜となく日となく磨きに磨く刃の冴は、人を屠る遺恨の刃を磨くのである。君の為め国の為めなる美しき名を藉りて、毫釐の争に千里の恨を報ぜんとする心からである。正義と云・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・二人とも烏の翼を欺くほどの黒き上衣を着ているが色が極めて白いので一段と目立つ。髪の色、眼の色、さては眉根鼻付から衣装の末に至るまで両人共ほとんど同じように見えるのは兄弟だからであろう。 兄が優しく清らかな声で膝の上なる書物を読む。「・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・欺瞞者が如何に私を欺くとも、私が考えるかぎり、私がある、コーギトー・エルゴー・スムの命題に達したのである。而してそこからデカルト哲学が出立したのである。私は此にデカルト哲学の不徹底があるというのである。神が自己を欺くとも、欺かれる自己がある・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・一時の豪気は以て懦夫の胆を驚かすに足り、一場の詭言は以て少年輩の心を籠絡するに足るといえども、具眼卓識の君子は終に欺くべからず惘うべからざるなり。 左れば当時積弱の幕府に勝算なきは我輩も勝氏とともにこれを知るといえども、士風維持の一方よ・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・つまり、彼女は自らを欺いたのだ 彼女はサクレ・クールでひとを欺く術を習った。○p.346 十八歳のごくつまらない青年が、―― 当今大流行の、女を軽蔑するという習慣をもっている―― スタンダールの描写一、・・・ 宮本百合子 「「緑の騎士」ノート」
出典:青空文庫