・・・二年立って、正保元年の夏、又七郎は創が癒えて光尚に拝謁した。光尚は鉄砲十挺を預けて、「創が根治するように湯治がしたくばいたせ、また府外に別荘地をつかわすから、場所を望め」と言った。又七郎は益城小池村に屋敷地をもらった。その背後が藪山である。・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・次いで正保二年三斎公も御卒去遊ばされ候。これより先き寛永十三年には、同じ香木の本末を分けて珍重なされ候仙台中納言殿さえ、少林城において御薨去なされ候。かの末木の香は「世の中の憂きを身に積む柴舟やたかぬ先よりこがれ行らん」と申す歌の心にて、柴・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・某が相果て候今日は、万治元戊戌年十二月二日に候えば、さる正保二乙酉十二月二日に御逝去遊ばされ候松向寺殿の十三回忌に相当致しおり候事に候。 某が相果候仔細は、子孫にも承知致させたく候えば、概略左に書残し候。 最早三十余年の昔に相成り候・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫