・・・ ――日本の汽船へのるんだけれども、波止場は? あなた運んでは呉れないのか? 麻の大前垂をかけ、ニッケルの番号札を胸に下げて爺の赤帽は、ぼんやりした口調で、 ――波止場へは別だよ。と答えた。 ――遠い? ここから。 ・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・尨大な数の不幸な人々と、顔色のわるい、骨格のよわいその子供たちとが、自分たちの運命をきりひらくために勇奮心をふるい起そうともしないで、波止場の波に浮ぶ藁しべのようにくさりつつ生きている光景は、どんな眠たい精神の目も、さまさせずにおかないもの・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第八巻)」
・・・俥で波止場へ向ったが、少し行ったところで俥が逆もどりした。幌がかかっていて何が何だか分らなかったが又船宿の土間におりたら、そこへ別な俥から下りた父が立っていたので、びっくりしたし嬉しく甚だきまりがわるかった。 大人が多勢ガヤガヤしていて・・・ 宮本百合子 「カメラの焦点」
・・・人通りの稀な街路の、右手は波止場の海水がたぷたぷよせている低い石垣、左側には、鉄柵と植込み越しに永年風雨に曝された洋館の閉された窓々が、まばらに光る雨脚の間から、動かぬ汽船の錆びた色を見つめている。左右に其等の静かな、物懶いような景物を眺め・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・ 貴族、金持たちは、出来るだけの宝石、金貨をひっさらってオデッサから、ペテルブルグの波止場からフランスへ逃げた。 多くのブルジョア芸術家も逃げ出した。ギッピウスもフランスへ逃げた。彼女が海の彼方のブルジョアの国に居候しながら、革命の・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
・・・等に描かれている二十歳前後までの若いゴーリキイの生活環境の中で――ヴォルガ通いの蒸汽船の皿洗い小僧、製図見習小僧、波止場人足、そして一種の浮浪者であったゴーリキイに写真を撮ってやろうという程彼を愛する者はおそらく一人もなかったであろう。彼の・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
・・・ 飢えないためにゴーリキイはヴォルガへ、波止場へ出かけて行った。独特な「私の大学」時代が始まった。波止場で十五哥、二十哥を稼ぐことは容易であった。そこで、荷揚人足、浮浪人、泥棒の間に自分を置き、ゴーリキイは後年この時代のことを、次のよう・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・「飢えないために、私はヴォルガへ、波止場へと出かけて行った。そこで一五、二〇カペイキ稼ぐことは容易であった。」と。 これらの波止場人足や浮浪人、泥棒、けいず買い等の仲間の生活は、これまで若いゴーリキイがこき使われて来た小商人、下級勤人な・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの発展の特質」
・・・学生とゴーリキイとは夜昼交代にそこへ寝て、ゴーリキイはヴォルガ河の波止場の人足をやって十五カペイキ、二十カペイキと稼ぐ。――ロシア人はヴォルガ河を「母なるヴォルガ」と呼んで愛するが、ゴーリキイの半生のさまざまな場面は洋々としたヴォルガの広い・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・学生とゴーリキイとは夜昼かわり番こにその寝台に眠り、朝になるとゴーリキイは「飢えないために、ヴォルガへ、波止場へと出かけて行った。そこで十五――二十哥を稼ぐことは容易であった。」 幼年時代は祖父の家の恐ろしい慾心の紛糾を目撃し、転々と移・・・ 宮本百合子 「逝けるマクシム・ゴーリキイ」
出典:青空文庫