・・・その破れた箇所には、また巧妙な補片が当っていて、まったくそれは、創造説を信じる人にとっても進化論を信じる人にとっても、不可思議な、滑稽な耳たるを失わない。そしてその補片が、耳を引っ張られるときの緩めになるにちがいないのである。そんなわけで、・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・されてみたのだろうが、鸚鵡まで持ちこまれて、『お玉さん樋口さん』の掛合まで聞かされたものだから、かあいそうに、ばあさんすっかりもてあましてしまって、樋口のいない留守に鸚鵡を逃がしたもんだ、窪田君、あの滑稽を覚えているかえ。」 私はうなず・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・ 朝鮮語の話は、傍できいていると、癇高く、符号でも叫んでいるようだった。滑稽に聞える音調を、老人は真面目な顔で喋っていた。黄色い、歯糞のついた歯が、凋れた唇の間からのぞき、口臭が、喇叭状に拡がって、こっちの鼻にまで這入ってきた。彼は、息・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・自分でもその自分がとうとう滑稽になった。土曜日から天気が上った。龍介は初めて修学旅行へ行く小学生のような気持で、晩眠れなかった。その日彼は停車場へ行った。彼は朗らかな気分だった。が、恵子は来なかった! どうすればいいのか? 龍介は分らなくな・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・あんなことをして皆を笑わせた滑稽が、まだまだ自分の気の確かな証拠として役に立ったのか、「面白いおばあさんだ」として皆に迎えられたのか、そこまではおげんも言うことが出来なかった。とにかく、この蜂谷の医院へ着いたばかりに桑畠を焼くような失策があ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・お嫁さんは腰を掛けて滑稽雑誌を見ている。お婿さんと立会人とで球を突いているというわけさ。婚礼の晩がこんな風では、行末どうなるだろうと思ったの。よくまあ、お婿さんになって、その晩に球なんぞが突けたことね。お嫁さんもお嫁さんで、よくまあ、滑稽雑・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・それは、滑稽である。 このごろだんだん、自分の苦悩について自惚れを持って来た。自嘲し切れないものを感じて来た。生れて、はじめてのことである。自分の才能について、明確な客観的把握を得た。自分の知識を粗末にしすぎていたということにも気づいた・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・ 学校の校長が、私が話を聞きに行ったのを探偵にでも来たのかと思って、非常に恐れていたのも滑稽であった。 それから私は一度小林君の親たちの住んでいる家を訪ねた。やはり、小林君のことを小説にするとは言えないので、書画の話を聞くふりして出・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・その水中を泳ぐ格好がなかなか滑稽で愛敬があり到底水上では見られぬ異形の小妖精の姿である。鳥の先祖は爬虫だそうであるが、なるほどどこか鰐などの水中を泳ぐ姿に似たところがあるようである。もっとも親鳥がこんな格好をして水中を泳ぎ回ることは、かつて・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・人力車は玩具のように小く、何処となく滑稽な形をなし最初から日本の生活に適当し調和するように発明されたものである。この二つはそのままの輸入でもなく無意味な模倣でもない。少くとも発明という賛辞に価するだけに発明者の苦心と創造力とが現われている。・・・ 永井荷風 「銀座」
出典:青空文庫