・・・蔦鎖す古き窓より洩るる梭の音の、絶間なき振子の如く、日を刻むに急なる様なれど、その音はあの世の音なり。静なるシャロットには、空気さえ重たげにて、常ならば動くべしとも思われぬを、ただこの梭の音のみにそそのかされて、幽かにも震うか。淋しさは音な・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・高き窓洩る夕日を脊に負う、二人の黒き姿の、この世の様とも思われぬ中に、抜きかけた剣のみが寒き光を放つ。この時ルーファスの次に座を占めたるウィリアムが「渾名こそ狼なれ、君が剣に刻める文字に耻じずや」と右手を延ばしてルーファスの腰のあたりを指す・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・只眼にあまる情けと、息に漏るる嘆きとにより、昼は女の傍えを、夜は女の住居の辺りを去らぬ誠によりて、我意中を悟れかしと物言わぬうちに示す」クララはこの時池の向うに据えてある大理石の像を余念なく見ていた。「第二を祈念の時期と云う。男、女の前に伏・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・唸り声がだんだんと近くなるとそれが夜を洩るる凄い歌と変化する。ここは地面の下に通ずる穴倉でその内には人が二人いる。鬼の国から吹き上げる風が石の壁の破れ目を通って小やかなカンテラを煽るからたださえ暗い室の天井も四隅も煤色の油煙で渦巻いて動いて・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・の詳なるは唯医師の言を聞くのみにして、素人の間には曾て言う者もなく聞く者もなかりしに、近年は日常交際の談話に公然子宮の語を用いて憚る所なく、売薬の看板にさえ其文字を見るのみならず、甚しきは婦人の口より洩るゝなどの奇談も時としてはなきに非ず。・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・人間万事この理に洩るるものあるべからず。もしあるいは然らざるに似たる者は、未だ究理の不行届なるものと知るべし。そもそもこの物理学の敵にして、その発達を妨ぐるものは、人民の惑溺にして、たとえば陰陽五行論の如き、これなれども、幸にして我が国の上・・・ 福沢諭吉 「物理学の要用」
・・・こんな考から「ところどころ月漏る杉の小道かな」とやったが、余り平凡なのに自ら驚いて、三たび森沿い小道に出て来た。此度は田舎祭の帰りのような心持がした。もぶり鮓の竹皮包みを手拭にてしばりたるがまさに抜け落ちんとするを平気にて提げ、大分酔がまわ・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・りけり水仙に狐遊ぶや宵月夜 怪異を詠みたるもの、化さうな傘かす寺の時雨かな西の京にばけもの栖て久しくあれ果たる家ありけり今は其さたなくて春雨や人住みて煙壁を洩る 狐狸にはあらで幾何か怪異の・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・を挙ぐれば四、五十句に過ぎざるべく、中につきて絵画となし得べきものを択みなば鶯や柳のうしろ藪の前 芭蕉梅が香にのっと日の出る山路かな 同古寺の桃に米蹈む男かな 同時鳥大竹藪を漏る月夜 同さゝれ蟹足はひ上る清水・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫