・・・私はかつて熊本におりましたが、或る時灰吹を買いに行ったことがある。ところが灰吹はないと云う。熊本中どこを尋ねても無いかと云ったら無いだろうと云う。じゃ熊本では煙草を喫まないか痰を吐かないかというと現に煙草を喫んでいる。それでは灰吹はどうする・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・「おおかた熊本でござりまっしょ」「ふん、熊本製の恵比寿か、なかなか旨いや。君どうだ、熊本製の恵比寿は」「うん。やっぱり東京製と同じようだ。――おい、姉さん、恵比寿はいいが、この玉子は生だぜ」と玉子を割った圭さんはちょっと眉をひそ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ 松山から熊本の高等学校の教師に転じて、そこでしばらくいて、後に文部省から英国へ留学を命ぜられて、行って帰って来て、今は大学と一高と明治大学との講師をやっている。なかなか忙しいんだよ。 落語か。落語はすきで、よく牛込の肴町の和良店へ・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・其後熊本に居る時分、東京へ出て来た時、神田川へ飄亭と三人で行った事もあった。これはまだ正岡の足の立っていた時分だ。 正岡の食意地の張った話というのは、もうこれ位ほか思い出せぬ。あの駒込追分奥井の邸内に居った時分は、一軒別棟の家を借りてい・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・速水君を教える時分は熊本で教員生活をしておった時で漂泊生でありました。速水君を教えていた時分は偉くなかった、あるいは偉い事を知らなかったか、どっちかでしょう。とにかく速水君を教えた事は確かであります。形式的に。無論偉くない人だから本統に啓発・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・そうして今度は熊本の高等学校に腰を据えました。こういう順序で中学から高等学校、高等学校から大学と順々に私は教えて来た経験をもっていますが、ただ小学校と女学校だけはまだ足を入れた試がございません。 熊本には大分長くおりました。突然文部省か・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・ 熊本は、寝て素通りしたから何も知らず、長崎へゆくと、更に人々の気持、自然の雰囲気が異なって来る。 そういう方面だけ思い出しても、九州の旅行は楽しく、たっぷりしたものであった。〔一九二六年六月〕・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
・・・プロボイは日露戦争にバルチック艦隊の水兵として召集され、捕虜となって熊本にいたことがある。そして、バルチック海軍兵士の革命的組織に関係し、のち亡命して長くイギリスで海員生活をした。彼は殆どこれまで唯一のソヴェト海洋作家である。婦人の作家――・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ 将軍家がこういう手続きをする前に、熊本花畑の館では忠利の病が革かになって、とうとう三月十七日申の刻に五十六歳で亡くなった。奥方は小笠原兵部大輔秀政の娘を将軍が養女にして妻せた人で、今年四十五歳になっている。名をお千の方という。嫡子六丸・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・鶴崎を経て、肥後国に入り、阿蘇山の阿蘇神宮、熊本の清正公へ祈願に参って、熊本と高橋とを三日ずつ捜して、舟で肥前国島原に渡った。そこに二日いて、長崎へ出た。長崎で三日目に、敵らしい僧を島原で見たと云う話を聞いて、引き返して又島原を五日尋ねた。・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫