・・・ 木深い庭園の噴水の側に薔薇の咲き乱れたパアゴラがある。その蔭に男女の姿が見える。どこかで夜の鶯の声が聞える。 石炭がはじけて凄まじい爆音が聞えると、黒い煙がひとしきり渦巻いて立ち昇る。 物恐ろしい戦場が現われる。鍋の物のいりつ・・・ 寺田寅彦 「ある幻想曲の序」
・・・海岸は心騒がしく、山の中は物恐ろしい。立派な大廈高楼はどうも気楽そうに思われない。頼まれてもそういう所に住む気にはなれそうもない。しかしこの平板な野の森陰の小屋に日当たりのいい縁側なりヴェランダがあってそこに一年のうちの選ばれた数日を過ごす・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・冬になるとよく北の山に山火事があって、夜になるとそれが美しくまた物恐ろしい童話詩的な雰囲気を田園のやみにみなぎらせるのであった。 友だちと連れ立って夜ふけた田んぼ道でも歩いているときだれの口からともなく「キーターヤーマー、ヤーケール、シ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ そうかと思うと、たとえばはげしい颶風があれている最中に、雨戸を少しあけて、物恐ろしい空いっぱいに樹幹の揺れ動き枝葉のちぎれ飛ぶ光景を見ている時、突然に笑いが込みあげて来る。そしてあらしの物音の中に流れ込む自分の笑声をきわめて自然なもの・・・ 寺田寅彦 「笑い」
出典:青空文庫