・・・僕はもちろん物質主義者ですから、真面目に宗教を考えたことは一度もなかったのに違いありません。が、この時はトックの死にある感動を受けていたためにいったい河童の宗教はなんであるかと考え出したのです。僕はさっそく学生のラップにこの問題を尋ねてみま・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・宗教上の無神論者、哲学上の物質主義者……」 夜更けの往来は靄と云うよりも瘴気に近いものにこもっていた。それは街燈の光のせいか、妙にまた黄色に見えるものだった。僕等は腕を組んだまま、二十五の昔と同じように大股にアスファルトを踏んで行った。・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・この本能が環境の不調和によって伸びきらない時、すなわちこの本能の欲求が物質的換算法によって取り扱われようとする時、そこにいわゆる社会問題なるものが生じてくるのだ。「共産党宣言」は暗黙の中にこの気持ちを十分に表現しているように見える。マルクス・・・ 有島武郎 「想片」
・・・俺たちのような、物質的には無能力に近いグループのために尽くしてくれるその女の志は美しいものだった。奴はひそかにその弟の細君に恋をしていた。けれども定められた運命だからどうすることもできない。奴は苦しんだ。そしてその苦しみと無限の淋しみとを、・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・ ここにおいて、精神界と物質界とを問わず、若き生命の活火を胸に燃した無数の風雲児は、相率いて無人の境に入り、我みずからの新らしき歴史を我みずからの力によって建設せんとする。植民的精神と新開地的趣味とは、かくて驚くべき勢力を人生に植えつけ・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・第一、話題が以前よりはよほど低くなった。物質上にも次第に逼迫して来たからであろうが、自暴自棄の気味で夜泊が激しくなった。昔しの緑雨なら冷笑しそうな下等な遊びに盛んに耽ったもので、「こんな遊びをするようでは緑雨も駄目です、近々看板を卸してしま・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・此れも極めて物質的、具体的のものをのみ云うのは褊狭ではあるまいか、吾人は何程立派な形体があればとて此れを取扱うに生命なき場合は、決してそれを現実とは思わないのである。此れに反し、縦令形体はなくとも作者の主観なり神経なりが通って居ればそれは現・・・ 小川未明 「絶望より生ずる文芸」
・・・ 正直と善良とがあれば、物静かな村の生活でも、虚偽と浮薄が風をなす、物質的文明で飾られた大都会の生活よりは、遙に貴いと確信される如く、悪人がいかに外面に美しく飾っても、畢竟、善い人間とはならないようなものであります。 地上に生れて来・・・ 小川未明 「草木の暗示から」
・・・女が上京すればますます淪落の淵に沈んで行くに違いないと思ったのと、救いがたい悪癖を持っているのに同情したのとで、何とかしてこれを救おうという心情を起し、物質的並に精神的方面より援助を与え彼女を品性のある婦人たらしめようと力を尽したのでした」・・・ 織田作之助 「世相」
・・・私の浪費癖は、もういまではゴシップになっているが、しかし私の浪費はただ物質だけでなく、私の人生、私の生命まで浪費している。この浪費の上に私の文学が成り立っている――というこの事情も、はじめは私の任意の一点であったのだが、いまではもはや私の宿・・・ 織田作之助 「私の文学」
出典:青空文庫