・・・つまり写真機を持って歩くのは、生来持ち合わせている二つの目のほかに、もう一つ別な新しい目を持って歩くということになるのである。 顕微鏡も、やはりわれわれの目のほかのもう一つの目である。この目で手近な平凡なものをのぞいて見ると自分のいる周・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・ 盆踊りといえば生来ただ一度、それも明治三十四五年ごろ、土佐のあるさびしい浜べの村で一晩泊まった偶然の機会に思いがけない見物をしただけで、それ以後にはついぞ二度とは見たことがなかった。そのころにはこういうものは、「西洋人に見られると恥ず・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・これほど精巧な生来持ち合わせの感官を捨ててしまうのは、惜しいような気がする。 たとえば耳の利用として次のようなことも考えられる。 すべての音は蓄音機のレコードの上に曲線として現わされる。反対にすべての週期的ないし擬週期的曲線は音とし・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・それは、全身にいろいろの刺青を施した数名の壮漢が大きな浴室の中に言葉どおりに異彩を放っていたという生来初めて見た光景に遭遇したのであった。いわゆる倶梨伽羅紋々ふうのものもあったが、そのほかにまたたとえば天狗の面やおかめの面やさいころや、それ・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・ 千歳という岬端の村で半日くらい観測した時は、土地の豪家で昼食を食わしてもらった。生来見たことのない不気味な怪物のなますを御馳走になった。それがホヤであった。海へはいって泳いでみたら、恐ろしく冷たいので、ふるえ上がってしまった。そこから・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・ 或日試みた千葉街道の散策に、わたくしは偶然この水の流れに出会ってから、生来好奇の癖はまたしてもその行衛とその沿岸の風景とを究めずにはいられないような心持にならせた。 流は千葉街道からしきりと東南の方へ迂回して、両岸とも貧しげな人家・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・彼は更に次の日の夕方生来嘗てない憤怒と悲痛と悔恨の情を湧かした。それは赤が死んだ日に例の犬殺しが隣の村で赤犬を殺して其飼主と村民の為に夥しくさいなまれて、再び此地に足踏みせぬという誓約のもとに放たれたということを聞いたからである。彼は其夜も・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 回顧すれば、余の十四歳の頃であった、余は幼時最も親しかった余の姉を失うたことがある、余はその時生来始めて死別のいかに悲しきかを知った。余は亡姉を思うの情に堪えず、また母の悲哀を見るに忍びず、人無き処に到りて、思うままに泣いた。稚心にも・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・官吏の内にても、一等官の如きはもっとも易からざる官職にして、尋常の才徳にては任に堪え難きものなるに、よくその職を奉じて過失もなきは、日本国中稀有の人物にして、その天稟の才徳、生来の教育、ともに第一流なりとて、一等勲章を賜わりて貴き位階を授く・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・藩中に商業行わるれば上士もこれを傍観するに非ず、往々竊に資本を卸す者ありといえども、如何せん生来の教育、算筆に疎くして理財の真情を知らざるが故に、下士に依頼して商法を行うも、空しく資本を失うか、しからざればわずかに利潤の糟粕を嘗るのみ。・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
出典:青空文庫