・・・もともと、この家族は、北多摩郡に本籍を有していたのであったが、亡父が中学校や女学校の校長として、あちこち転任になり、家族も共について歩いて、亡父が仙台の某中学校の校長になって三年目に病歿したので、津島は老母の里心を察し、亡父の遺産のほとんど・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・勾当、病歿せしは明治十五年、九月八日。年齢、七十一歳也。 以上は、私が人名辞典やら、「葛原勾当日記」の諸家の序やら跋やら、または編者の筆になるところの年譜、逸話集、写真説明の文など、諸処方々から少しずつ無断盗用して、あやうく、纏めた故葛・・・ 太宰治 「盲人独笑」
祖母は文化十二年生まれで明治二十二年自分が十二歳の歳末に病没した。この祖母の「思い出の画像」の数々のうちで、いちばん自分に親しみとなつかしみを感じさせるのは、昔のわが家のすすけた茶の間で、糸車を回している袖なし羽織を着た老・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・そして、朝日新聞社からロシア視察旅行に赴き、あちらで発病して、明治四十二年五月帰途の船が印度洋を通っているとき病歿した。 二葉亭の悲劇は決して旅の半ば船中でその生涯を終ったことではない。彼の悲劇は、あれだけ日本のために文学をもって働きか・・・ 宮本百合子 「生活者としての成長」
出典:青空文庫