・・・ で鳩は今度は牧場を飛び越して、ある百姓がしきりと井戸を掘っている山の中の森に来ました。その百姓は深い所にはいって、頭の上に六尺も土のある様子はまるで墓のあなの底にでもいるようでした。 あなの中にいて、大空も海も牧場も見ないこんな人・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・死んだつもりでいたのだが、この首筋ふとき北方の百姓は、何やらぶつぶつ言いながら、むくむく起きあがった。大笑いになった。百姓は、恥かしい思いをした。 百姓は、たいへんに困った。一時は、あわてて死んだふりなどしてみたが、すべていけないのであ・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・ 弥勒の村は、今では変わってにぎやかになったけれども、その時分はさびしいさびしい村だッた、その湯屋の煙突からは、静かに白い煙が立ち、用水縁の小川屋の前の畠では、百姓の塵埃を燃している煙が斜めになびいていた。 私とO君とは、その小川屋・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・現に高官や富豪のだれかれが日曜日にわざわざ田舎へ百姓のまねをしに行くことのはやり始めた昨今ではなおさらそんな空想も起こし得られるのである。 昔の下級士族の家庭婦人は糸車を回し手機を織ることを少しも恥ずかしい賤業とは思わないで、つつましい・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・どうも変だというので、百姓に聞いて見るてえと、もう少し前に、士官が一人鉄橋を渡って行くのを見かけたという話だ。帰って来さっしゃらねえところを見ると、どうも可怪いと云う。さア大変秋山を殺すなという騒ぎになって、××じゃ将校連が集って、急いで人・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・彼らは各々その位置に立ち自信に立って、するだけの事を存分にして土に入り、余沢を明治の今日に享くる百姓らは、さりげなくその墓の近所で悠々と麦のサクを切っている。 諸君、明治に生れた我々は五六十年前の窮屈千万な社会を知らぬ。この小さな日本を・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・私も子供だけれど、百姓の子だから、茄子がこんなに花をつけるまでどんなに手数がかかるかを知っていた。「どうもすみません」 お辞儀しながら、私は犬の方を見た。しかし犬はもうけろりとして、女中さんの足許に脚をなげだして、ものうさそうにそっ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・娘の兄らしい兵隊は無言で、親爺らしい百姓が頻に詫びた。娘は俯向いてこそこそと降りた。癪に障って忌々しいが叱り飛す張合もない。災難だと諦めた。乗り合わした他の連中は頻に私に同情して、娘とその伴の図々しい間抜な態度を罵った。飛沫を受けたので、眉・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・然し太十は四十になるまで恐ろしい堅固な百姓であった。彼は貧乏な家に生れた。それで彼は骨が太くなると百姓奉公ばかりさせられた。彼はうまく使えば非常な働手であった。彼は一剋者である。一旦怒らせたら打っても突いてもいうことを聴くのではない。性癖は・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・光秀はなぜ百姓みたように竹槍を製造するんですか。 木更津汐干の場の色彩はごちゃごちゃして一見厭になりました。御成街道にペンキ屋の長い看板があるから見て、御覧なさい。 楠一族の色彩ははなはだよろしい。第一調和しているようです。正成の細・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
出典:青空文庫