・・・『僕も主義を改めて、あの百姓のお神さんに同情するさ。』 彼可厭と思った学生の声でしたから、私達は急いで停車場を出て、待たせて置いた宅の俥に乗って帰ったのでした。 私は彼女の方は、日本の人か知ら、他国の人じゃないかと思いました。で・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・若しも然るときは百姓町人は男子にても藩務に関係なければ男女共に主君なしと言わざるを得ず。左りとは不都合なる可し。或は百姓が年貢を納め町人が税を払うは、即ち国君国主の為めにするものなれば、自ら主君ありと言わんか。然らば即ち其年貢の米なり税金な・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・麦こなしは芒がえらえらからだに入って大へんつらい仕事です。百姓の仕事の中ではいちばんいやだとみんなが云います。この辺ではこの仕事を夏の病気とさえ云います。けれども全くそんな風に考えてはすみません。私たちはどうにかしてできるだけ面白くそれをや・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・五月には、「お百姓なんて辛いもんだね、私にゃ半日辛棒もなりませんや」と、肩を動して笑った。――本当にこの永い一生、何をして生きて来たんだろう。村の人は、土地に馴れたという丈でやっと犬が吠ないような身装をし、食べ歩いて生きている癖に、・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
市が立つ日であった。近在近郷の百姓は四方からゴーデルヴィルの町へと集まって来た。一歩ごとに体躯を前に傾けて男はのそのそと歩む、その長い脚はかねての遅鈍な、骨の折れる百姓仕事のためにねじれて形をなしていない。それは鋤に寄りかかる癖がある・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・林は南郷下田村の百姓であったのを、忠利が十人扶持十五石に召し出して、花畑の館の庭方にした。四月二十六日に仏巌寺で切腹した。介錯は仲光半助がした。宮永は二人扶持十石の台所役人で、先代に殉死を願った最初の男であった。四月二十六日に浄照寺で切腹し・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ただの百姓や商人など鋤鍬や帳面のほかはあまり手に取ッたこともないものが「サア軍だ」と駆り集められては親兄弟には涙の水杯で暇乞い。「しかたがない。これ、忰。死人の首でも取ッてごまかして功名しろ」と腰に弓を張る親父が水鼻を垂らして軍略を皆伝すれ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・「大阪は水が悪いというから駄目駄目。幾らお金を儲けても、早く死んだら何もならない。」「百姓をさせば好い、百姓を。」 と兄は言った。「吉は手工が甲だから信楽へお茶碗造りにやるといいのよ。あの職人さんほどいいお金儲けをする人はな・・・ 横光利一 「笑われた子」
・・・サアお出だというお先布令があると、昔堅気の百姓たちが一同に炬火をふり輝らして、我先と二里も三里も出揃って、お待受をするのです。やがて二頭曳の馬車の轟が聞えると思うと、その内に手綱を扣えさせて、緩々お乗込になっている殿様と奥様、物慣ない僕たち・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・そして私の頭には百姓とともに枯れ草を刈るトルストイの面影と、地獄の扉を見おろして坐すべきあの「考える人」の姿とが、相並んで浮かび出た。私は石の上に腰をおろして、左の肱を右の膝に突いて、顎を手の甲にのせて、――そして考えに沈んだ。残った舟はも・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫