・・・下諏訪の宿へ行って日が暮れた時は、私は連れのために真綿を取り寄せて着せ、またあくる日の旅を続けようと思うほど寒かった。――それを嫂にも着せ、姪にも着せ、末子にも着せて。 中央線の落合川駅まで出迎えた太郎は、村の人たちと一緒に、この私たち・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・と言い言い出てきて取ってくれる。真綿の切れに赤い絹糸の絡んだのが喰っついていたのである。藤さんはそれを手で揉みながら、「いいお天気ですね」という。いっしょに行ってみたいという念がそぶりに表われている。門を出しなに振り返ると、藤さんはまだ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・老妻は、顔をあからめて、嘉七に紙包を差し出し、「真綿だよ。うちで紡いで、こしらえた。何もないのでな。」「ありがとう。」と嘉七。「おばさん、ま、そんな心配して。」とかず枝。何か、ふたり、ほっとしていた。 嘉七は、さっさと歩きだした・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・あるいは花火のようなものに真綿の網のようなものを丸めて打ち上げ、それが空中でぱっとからすうりの花のように開いてふわりと敵機を包みながらプロペラにしっかりとからみつくというようなくふうはできないかとも考えてみる。蜘蛛のあんなに細い弱い糸の網で・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・あるいは花火のようなものに真綿の網のようなものを丸めて打ち上げ、それが空中でぱっと烏瓜の花のように開いてふわりと敵機を包みながらプロペラにしっかりとからみ付くというような工夫は出来ないかとも考えてみる。蜘蛛のあんなに細い弱い糸の網で大きな蝉・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・ 六 藁が真綿になる話 藁にある薬品を加えて煮るだけでこれを真綿に変ずる方法を発明したと称して、若干の資本家たちに金を出させた人がある。ところがそれが詐偽だという事になって検挙され、警視庁のお役人たちの前で「実験」を・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・様の趣意を述ぶるにも、其文に優美高尚なるものあり、粗野過激なるものあり、直筆激論、時として有力なることなきに非ざれども、文に巧なる人が婉曲に筆を舞わして却て大に読者を感動せしめて、或る場合には俗に言う真綿で首を締めるの効を奏することあり。男・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・と或る者は真綿をくれた。元村長をした人の後家のところでは一晩泊って、綿入れの着物と毛糸で編んだ頭巾とを貰った。古びた信玄袋を振って、出かけてゆく姿を、仙二は嫌悪と哀みと半ばした気持で見た。「ほ、婆さま真剣だ。何か呉れそうなところは一・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・ お金への手土産に、栄蔵は少しばかりの真綿と砂糖豆を出した。 こんなしみったれた土産をもらって、又お金は何と云うかと、お君は顔が赤くなる様だったけれ共、何か思う事があると見えて、お金は、軽々振舞って、 よく見て御出で、 ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 雨が降る――風が吹く 土のお宮は淋しかろ 寒かろう 送ってあげたや紅の地に 金糸の花を縫い取って 真綿を厚く夜の衣 それにそえては虹のよな 糸でかがった小手毬を―― 日はひねもす・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
出典:青空文庫