・・・ ところがその後元宰先生に会うと、先生は翁に張氏の家には、大癡の秋山図があるばかりか、沈石田の雨夜止宿図や自寿図のような傑作も、残っているということを告げました。「前にお話するのを忘れたが、この二つは秋山図同様、※苑の奇観とも言うべ・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・「おお、五体は宙を飛んで行く、これぞ甲賀流飛行の術、宙を飛んで注進の、信州上田へ一足飛び、飛ぶは木の葉か沈むは石田か、徳川の流れに泛んだ、葵を目掛けて、丁と飛ばした石田が三成、千成瓢箪押し立てりゃ、天下分け目の大いくさ、月は東に日は西に・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・で情夫の石田吉蔵を殺害して、その肉体の一部を斬り取って逃亡したという稀代の妖婦の情痴事件が世をさわがせたのは、たしか昭和十一年五月であったが、丁度その頃私はカフェ美人座の照井静子という女に、二十四歳の年少多感の胸を焦がしていた。 美人座・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 3 石田はある晩のことその崖路の方へ散歩の足を向けた。彼は平常歩いていた往来から教えられたはじめての路へ足を踏み入れたとき、いったいこんなところが自分の家の近所にあったのかと不思議な気がした。元来その辺はむやみに坂・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・明智光秀の三女であったおたまの方はキリスト教を信仰してガラシアという洗礼名をもっていた。石田三成が大阪城によって、徳川家康に反抗しようとしたとき、徳川の側に立っていた細川忠興の妻であり、秀吉によって実家の一族を滅された光秀の娘であるガラシア・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
┌細君、小枝 │七歳の伸一┌富井行雄┤四つの健吉│ │百姓 与田初五郎│ └ 酒井「五兵衛さん」│石田重吉┐直次 つや子└ ひろ子└進三〔欄外に〕・・・ 宮本百合子 「「播州平野」創作メモ」
・・・――石田です」 うしろに立っていた重吉を紹介した。重吉は、まだ帰って来た時のままのなりで、嵩だかにそこの畳へ手をついて挨拶をした。「石田です。――どうも永い留守の間はいろいろお世話様になりました」 それは決して、ただ時間の上で永・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・慶長五年七月赤松殿石田三成に荷担いたされ、丹波国なる小野木縫殿介とともに丹後国田辺城を攻められ候。当時田辺城には松向寺殿三斎忠興公御立籠り遊ばされおり候ところ、神君上杉景勝を討たせ給うにより、三斎公も随従遊ばされ、跡には泰勝院殿幽斎藤孝公御・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
石田小介が少佐参謀になって小倉に着任したのは六月二十四日であった。 徳山と門司との間を交通している蒸汽船から上がったのが午前三時である。地方の軍隊は送迎がなかなか手厚いことを知っていたから、石田はその頃の通常礼装という・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・そしてそれは批評家の嫌う石田少介流とかの、何でもじいっと堪えているなんぞと云うのではありません。本当に平気なのです。 私の考では私は私で、自分の気に入った事を自分の勝手にしているのです。それで気が済んでいるのです。人の上座に据えられたっ・・・ 森鴎外 「Resignation の説」
出典:青空文庫