・・・のみならずいきなり立ち上がると、べろりと舌を出したなり、ちょうど蛙の跳ねるように飛びかかる気色さえ示しました。僕はいよいよ無気味になり、そっと椅子から立ち上がると、一足飛びに戸口へ飛び出そうとしました。ちょうどそこへ顔を出したのは幸いにも医・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・そしてふいと立ち上がるとかまわずに事務所の方に行ってしまった。 座敷とは事かわって、すっかり暗くなった囲炉裡のまわりには、集まって来た小作人を相手に早田が小さな声で浮世話をしていた。内儀さんは座敷の方に運ぶ膳のものが冷えるのを気にして、・・・ 有島武郎 「親子」
・・・すべての疲れたる者はその人を見て再びその弱い足の上に立ち上がる。八 さりながらその人がちょっとでも他の道を顧みる時、その人はロトの妻のごとく塩の柱となってしまう。九 さりながらまたその人がどこまでも一つの道を・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・ 彼は、立ち上がると、「私のお母さんは、お金のないときは、自分のだいじなものも売って、僕のためにいろいろなものを買ってくださいます。そんなとき、私はじつにすまないと感じます。」といいました。すると、先生は、「いろいろなものとは、・・・ 小川未明 「笑わなかった少年」
・・・山崎は立ち上がると、しばらくモジ/\していたが、低い声で裁判長の方に向って何か云った。裁判長は白い髯を噛みながら、「本当にやめる心積りか?」と訊きかえした。「そうです、考えるところがあって……。」山崎は頭を伏せたまゝブツ/\と云った。今まで・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・ と叫んで立ち上がる。 以上は鴎外の文章の筆写であるが、これが喧嘩のはじまりで、いよいよ組んづほぐれつの、つかみ合いになって、 彼は僕を庭へ振り落そうとする。僕は彼の手を放すまいとする。手を引き合った儘、二人は縁から落ちた。・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・ 砂漠でらくだがうずくまっていると飛行機の音が響いて来る、するとらくだが驚いて一声高くいなないて立ち上がる。これだけで芝居のうそが生かされて熱砂の海が眼前に広げられる。ホテルの一室で人が対話していると、窓越しに見える遠見の屋上でアラビア・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ケーベルさんが立ち上がるのも待たないで無遠慮に拍手を浴びせかけた。ケーベルさんは少しはにかんだような色を柔和な顔に浮かべて聴衆に挨拶した。 演奏していた時の様子も思い出す。少し背中を猫背に曲げて、時々仰向いたり、軽くからだを前後に動かし・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・たとえば湯の温度によって湯げの立ち上がる様子がちがうので、その湯げの立ち方で温度のおおよその見当がつく。これには対流による渦動の問題がある。また半ば満たした金だらいの中央にコップの水を注入する時に水面に菊花状の隆起を生じる事がある。これもま・・・ 寺田寅彦 「日常身辺の物理的諸問題」
・・・前足でころがすのはなんでもないが棒の片端をひょいと両方の前足でかかえてあと足でみごとに立ち上がる。棒が倒れるとそれを飛び越えて見向きもしないで知らん顔をしてのそのそと三四尺も歩いて行ってちょこんとすわる。そういう事をなんべんとなく繰り返すの・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
出典:青空文庫