・・・ 金三は良平の、耳朶を掴んだ。が、まだ仕合せと引張らない内に、怖い顔をした惣吉の母は楽々とその手をもぎ離した。「お前さんはいつも乱暴だよう。この間うちの惣吉の額に疵をつけたのもお前さんずら。」 良平は金三の叱られるのを見ると、「・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・――その目の前で、 名工のひき刀が線を青く刻んだ、小さな雪の菩薩が一体、くるくると二度、三度、六地蔵のように廻る……濃い睫毛がチチと瞬いて、耳朶と、咽喉に、薄紅梅の血が潮した。 脚気は喘いで、白い舌を舐めずり、政治狂は、目が・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ても、小山にはまだ令室のないこと、並びに今も来る途中、朋友なる給水工場の重役の宅で一盞すすめられて杯の遣取をする内に、娶るべき女房の身分に就いて、忠告と意見とが折合ず、血気の論とたしなめられながらも、耳朶を赤うするまでに、たといいかなるもの・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ああ、うつくしい白い指、結立ての品のいい円髷の、情らしい柔順な髱の耳朶かけて、雪なす項が優しく清らかに俯向いたのです。 生意気に杖を持って立っているのが、目くるめくばかりに思われました。「私は……関……」 と名を申して、「蔦・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ と笑って聞いた。「ふ、ふ、ふ。」と首を振っている。「何と言うよ。」「措きなさい、そんな事。」 と耳朶まで真赤にした。「よ、ほんとに何と言うよ。」「お光だ。」 と、飯櫃に太い両手を突張って、ぴょいと尻を持立て・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ と気色ばみつつ、且つ恥じたように耳朶を紅くした。 いうまじき事かも知れぬが、辻町の目にも咄嵯に印したのは同じである。台石から取って覆えした、持扱いの荒くれた爪摺れであろう、青々と苔の蒸したのが、ところどころむしられて、日の隈幽に、・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・頭に十文字に繃帯をして片方のちぎれかけた耳朶をとめている者がある。 唇をやられた男は、冷えた練乳と、ゆるい七分粥を火でも呑むように、おず/\口を動かさずに、食道へ流しこんでいた。皆と年は同じに違いないが、十八歳位に見える男だ。その男はい・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・もう一寸一寸に暗くなって行く時、よくは分らないが、お客さんというのはでっぷり肥った、眉の細くて長いきれいなのが僅に見える、耳朶が甚だ大きい、頭はよほど禿げている、まあ六十近い男。着ている物は浅葱の無紋の木綿縮と思われる、それに細い麻の襟のつ・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・こんな工合いに、耳朶をちょろちょろとくすぐりながら通るのは、南風の特徴である。 見渡したところ、郊外の家の屋根屋根は、不揃いだと思わないか。君はきっと、銀座か新宿のデパアトの屋上庭園の木柵によりかかり、頬杖ついて、巷の百万の屋根屋根をぼ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ いまもなお私の耳朶をくすぐる祖母の子守歌。「狐の嫁入り、婿さん居ない。」その余の言葉はなくもがな。 太宰治 「玩具」
出典:青空文庫