・・・前に出版した透谷集の方には写真を出し、後に出した透谷全集には弟の丸山君の書いた肖像画を出したのであるが、北村君をよく現わすようなものが、残っていないのは残念である。北村君は大変声の涼しいような人で、私は北村君の事を思い出す度に、種々な書いた・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・美術書生を兄に持った末子は、肖像の手本としてよくそういうふうに頼まれる。次郎の画作に余念のなかった時だ。 やがて末子は二階から降りて来た。梯子段の下のところで、ちょっと私に笑って見せた。「きょうは眠くなっちゃった。」「春先だから・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・老い疲れたる帝国大学生、袖口ぼろぼろ、蚊の脛ほどに細長きズボン、鼠いろのスプリングを羽織って、不思議や、若き日のボオドレエルの肖像と瓜二つ。破帽をあみだにかぶり直して歌舞伎座、一幕見席の入口に吸いこまれた。 舞台では菊五郎の権八が、した・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・それこそ「晩年の肖像」のつもりでしたが、未だに私は死にもせず、たとえば、昼の蛍みたいに、ぶざまにのそのそ歩きまわっているのです。めっきり、太った。この写真をごらんなさい。二年ほど船橋にいましたが、また東京へ出て来て、それまで六年間一緒に暮し・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・――なんとかして、記憶の蔓をたどっていって、その人の肖像に行きつき、あッ、そうか、あれか、と腹に落ち込ませたく、身悶えをして努めるのだが、だめである。その人が、どこの国の人で、いつごろの人か、そんなことは、いまは思い出せなくていいんだ。いつ・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・『生』で描いた母親の肖像よりも、つきすぎていないゆえか、いっそう愉快であった。私は人間の魂を取り扱ったような気がした。一青年の魂を墓の下から呼び起こして来たような気がした。 今でも、私はH町の寺に行くと、きっとその自然石の墓の前に行った・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・一昨年来急に世界的に有名になってから新聞雑誌記者は勿論、画家彫刻家までが彼の門に押しよせて、肖像を描かせろ胸像を作らしてくれとせがむ。講義をすまして廊下へ出ると学生が押しかけて質問をする。宅へ帰ると世界中の学者や素人から色々の質問や註文の手・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・晩餐会で腹をかかえて哄笑するのもキュラソのビンで自分の肖像のどてっ腹に穴をあけるのも、工場と富とを投げ出してギャングの前にたたきつけるのもみんな自由へのパスポートである。 自由はどこにある。それは川面の漣波に、蘆荻のそよぎに、昼顔の花に・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・これを極端までもって行くとカリカチュアが一番正確な肖像画になる勘定である。 これに聯関して思い合わされることは、人の容貌の肖似ということについての人々の考えの異同である。例えば、甲某の眼にはA某とB某とが、よく似ているように見える。・・・ 寺田寅彦 「観点と距離」
・・・大概はカーライル夫婦の肖像のようだ。後ろの部屋にカーライルの意匠に成ったという書棚がある。それに書物が沢山詰まっている。むずかしい本がある。下らぬ本がある。古びた本がある。読めそうもない本がある。そのほかにカーライルの八十の誕生日の記念のた・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
出典:青空文庫