・・・ 英雄は古来センティメンタリズムを脚下に蹂躙する怪物である。金将軍はたちまち桂月香を殺し、腹の中の子供を引ずり出した。残月の光りに照らされた子供はまだ模糊とした血塊だった。が、その血塊は身震いをすると、突然人間のように大声を挙げた。・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・ 遥かに瞰下す幽谷は、白日闇の別境にて、夜昼なしに靄を籠め、脚下に雨のそぼ降る如く、渓流暗に魔言を説きて、啾々たる鬼気人を襲う、その物凄さ謂わむ方なし。 まさかこことは想わざりし、老媼は恐怖の念に堪えず、魑魅魍魎隊をなして、前途に塞・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・そして今や現実の世界を遠く脚下に征服して、おもむろに宇宙人生の大理法、恒久不変の真理を冥想することのできる新生活が始ったのだと、思わないわけに行かないのであった。 彼は慣れぬ腰つきのふらふらする恰好を細君に笑われながら、肩の痛い担ぎ竿で・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・を付けて上って、とうとう雁坂峠の絶頂へ出て、そして遥に遠く武蔵一国が我が脚下に開けているのを見ながら、蓬々と吹く天の風が頬被りした手拭に当るのを味った時は、躍り上り躍り上って悦んだ。しかしまた振り返って自分等が住んでいた甲斐の国の笛吹川に添・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・やっとのことで崖の上までたどりつき、脚下の様を眺めたら、まばらに散在している鎌倉の街の家々の灯が、手に取るように見えたのだ。熊は、うろうろ場所を捜した。薬品に依って頭脳を麻痺させているわけでもなし、また、お酒に勢いを借りているわけでもない。・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・彼は脚下の小さい滝を満足げに見おろしたのである。「おれは、日本の北方の海峡ちかくに生れたのだ。夜になると波の音が幽かにどぶんどぶんと聞えたよ。波の音って、いいものだな。なんだかじわじわ胸をそそるよ。」 私もふるさとのことを語りたくなった・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
・・・魚容も真似して大きく輪を描いて飛びながら、脚下の孤洲を見ると、緑楊水にひたり若草烟るが如き一隅にお人形の住家みたいな可憐な美しい楼舎があって、いましもその家の中から召使いらしき者五、六人、走り出て空を仰ぎ、手を振って魚容たちを歓迎している様・・・ 太宰治 「竹青」
・・・この脚下の一と山だけのものをでも、人工で築き上げるのは大変である。一つ一つの石塊を切り出し、運搬し、そうしてかつぎ上げるのは容易でない。しかし噴火口から流れ出した熔岩は、重力という「鬼」の力で押されて山腹を下り、その余力のほんのわずかな剰余・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・少なくも映画俳優としては人間は犬やトナカイの脚下にひざまずいて教えをこう必要がある。 これと連関して自分の常に感ずることは、映画に現われる「機械」の真実不真実による価値の懸隔である。古い映画では「メトロポリス」に現われた機械のばからしさ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・こういう老婆を見ると、いかにも弱々しく見える一方では、また永い間世の中のあらゆる辛苦に錬え上げられて、自分などがとても脚下にもよりつかれないほど強い健気なところがあるように思われて来る。そしてそれが気の毒なというよりはむしろ羨ましいような気・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫