・・・その後には二枚折の屏風に、今は大方故人となった役者や芸人の改名披露やおさらいの摺物を張った中に、田之助半四郎なぞの死絵二、三枚をも交ぜてある。彼が殊更に、この薄暗い妾宅をなつかしく思うのは、風鈴の音凉しき夏の夕よりも、虫の音冴ゆる夜長よりも・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 新内語りを始め其他の街上の芸人についてはここに言わない。 その日その日に忘れられて行く市井の事物を傍観して、走馬燈でも見るような興味を催すのは、都会に生れたものの通有する性癖であろう。されば古老の随筆にして行賈の風俗を記載せざるも・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・ 大正八年の秋始て帝国劇場に於てオペラを演奏した芸人の一座は其本国を亡命した露西亜人によって組織せられていた。露西亜は欧米の都会に在ってさえ人々の常に不可思議なる国土となす所である。況やわたくしは日本の東京に於て偶然露西亜語を以て唱われ・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・それ故当然作物からのみ得られべき感情が作家に及ぼして、しまいには justice という事がなくなって、贔負というものが出来る。芸人にはこの贔負が特に甚だしい。相撲なんかそれです。私の友人に相撲のすきな人があるが、この人は勝った方がすきだと・・・ 夏目漱石 「無題」
・・・これは范という支那の剣つかいの芸人が、過って妻を芸の間で殺し、過失と判定されるのであるが、妻を嫉妬し、憎悪が内心に潜んでいた自覚から、法律の域外の人間的苦悩を感じる主題であったと思う。志賀氏の作品と探偵小説とを同日に論ずべきでないが、しかし・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・よせ芸人一、神田辺の日本下宿一、彼の部屋の雑然さ一、下宿の女中、片ことの日本語 英語の会話、女中たちのエクサイトメント一、パオリの幸福 父娘の散策 人のよい気の小さい若い好奇心のある父、 娘、タイ・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ 芸人の子「何んだ、高が芸人の子じゃあないか」 斯う云うひややかな情ない声が、まだ十二にほかならない長次の体をつつんで居た。学校に行っても二こと目には「芸人の子」が出かけていじめられて居てもたれ一人味方になって呉・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・印度の港で魚のように波の底に潜って、銀銭を拾う黒ん坊の子供の事や、ポルトセエドで上陸して見たと云う、ステレオチイプな笑顔の女芸人が種々の楽器を奏する国際的団体の事や、マルセイユで始て西洋の町を散歩して、嘘と云うものを衝かぬ店で、掛値と云うも・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・しかし彼が芸人附合を盛んにし出して、今紀文と云われるようになってから、もう余程の年月が立っている。察するに飾磨屋は僕のような、生れながらの傍観者ではなかっただろう。それが今は慥かに傍観者になっている。しかしどうしてなったのだろうか。よもや西・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・ この危険を救うものは画家の内部の革新である。芸人をやめて芸術家となることである。 院展日本画の大体としての印象は右のごときものであった。もし二、三の幸福な例外がなかったならば、我々はこの日本画革新の急先鋒たる美術院に失望し尽くした・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫