・・・スバーは、極く小さい子供の時から、神が何かの祟りのように自分を父の家にお遣しになったのを知っていたのでなみの人々から遠慮し、一人だけ離れて暮して行こうとしました。若し皆が、彼女のことをすっかり忘れ切って仕舞っても、スバーは、ちっとも其を辛い・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・家の者が、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに思う。もう秋が夏と一緒に忍び込んで来ているのに。秋は、根強い曲者である。 怪談ヨロシ。アンマ。モシ、モシ。 マネク、ススキ。アノ裏ニハキッ・・・ 太宰治 「ア、秋」
・・・ もうパリイへ行こうと思うことなんぞはおれの頭に無い。差し当りこの包みをどうにか処分しなくてはならない。どうか大地震でもあってくれればいいと思う。何もベルリンだって、地震が揺ってならないはずはない。それからこういう事も思った。動物園へ行・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・電車をおりてベデカをたよりに尋ねて行こうとすると、すぐに一人の案内者が追いすがって来てしきりにすすめる。まだ三十にならないかと思われるあまり人相のよくない男である。てんで相手にしないつもりでいたがどこまでも根気よくついて来て、そして息を切ら・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・ 道太は温泉へ行こうか、ここに御輿を据えようかと考えていたが、そのうちに辰之助がかけた若い女が来たりして、二階へ上がって、前にも二三度来たことのある奥座敷で、酒を呑んでいた。常磐津のうまい若い子や、腕達者な年増芸者などが、そこに現われた・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 四五人のスキャップを雇い込んで、××町の交番横に、トラックを待たせておいて、モ一人の家へ行こうと、屈った路次で、フト、二人の少年工を発見出したのだ。幸いだと思って、「オイ、三公、義公」と呼んだら、二人は変装している自分を、知ってか知ら・・・ 徳永直 「眼」
・・・園遊会にも行こう。浪花節も聞こう。女優の鞦韆も下からのぞこう。沙翁劇も見よう。洋楽入りの長唄も聞こう。頼まれれば小説も書こう。粗悪な紙に誤植だらけの印刷も結構至極と喜ぼう。それに対する粗忽干万なジゥルナリズムの批評も聞こう。同業者の誼みにあ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・「さらば行こう。後れ馳せに北の方へ行こう」と拱いたる手を振りほどいて、六尺二寸の躯をゆらりと起す。「行くか?」とはギニヴィアの半ば疑える言葉である。疑える中には、今更ながら別れの惜まるる心地さえほのめいている。「行く」といい放っ・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・例えば町へ行こうとして家を出る時、反対の森の方へ行ってるのである。最も苦しいのは、これが友人との交際に於いて出る場合である。例えば僕は目前に居る一人の男を愛している。僕の心の中では固くその人物と握手をし、「私の愛する親友!」と云おうとして居・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ どこへ俺は行こうってんだ」 樫の盆見たいな顔を持った、セコンドメイトは、私と並んで、少し後れようと試みながら歩いていた。「ヘッ、俺より一足だって先にゃ行かねえや。後ろ頭か、首筋に寒気でもするんかい」 私は又、実際、セコンドメイ・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
出典:青空文庫