・・・ 建込んだ表通りの人家に遮ぎられて、すぐ真向に立っている彼の高い本願寺の屋根さえ、何処にあるのか分らぬような静なこの辺の裏通には、正しい人たちの決して案内知らぬ横町が幾筋もある。こういう横町の二階の欄干から、自分は或る雨上りの夏の夜に通・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ 一本は真正面に、今一本は真左へ、どちらも表通りと裏通りとの関係の、裏路の役目を勤めているのであったが、今一つの道は、真右へ五間ばかり走って、それから四十五度の角度で、どこの表通りにも関りのない、金庫のような感じのする建物へ、こっそりと・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・また、在町の表通りを見ても、店の看板、提灯、行灯等の印にも、絶えて片仮名を用いず。日本国中の立場・居酒屋に、めし、にしめと障子に記したるはあれども、メシ、ニシメと記したるを見ず。今このめしの字は俗なるゆえメシと改むべしなど国中に諭告するも、・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・ 表通りと云っても、家よりは空地の方が多く、団子坂を登り切って右に曲り暫く行くと忽ち須藤の邸の杉林が、こんもり茂って蒼々として居た。間に小さく故工学博士渡辺 渡邸を挾んで、田端に降る小路越しは、すぐ又松平誰かの何万坪かある廃園になって居・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・藤堂さんの森だったところは何軒も二階建の貸家が建ち並んでいる。表通りの小さい格子戸の家々の一画はとり払われて、ある大きい実業家の屋敷となっているが、三年前の二月ごろから表札が代って、姓だけを上の方にちょこんと馴れぬ筆蹟で書いたものが、太い石・・・ 宮本百合子 「からたち」
・・・物価庁が、原稿料を基準に、という意見を発表するとき、湛山の役所風なヴァリエーションを感ずる。表通りは固めて、裏はふつうという。―― 書籍の※書籍をこしらえようとするような文化の非自立性が進行している。しかもこの現象は、探求されている日本・・・ 宮本百合子 「豪華版」
・・・ 一台の俥が勢よく表通りからその横丁へ曲って来た。幌をはずして若い女が斜めに乗り、白い小さい顔が幸福そうに笑っている。見ると、俥の後に一人若い袴をつけた男が捉り、俥と共に走っていた。更に数間遅れて一かたまりの学生が、「一菊バンザーイ・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・非人間的な無為と不潔さでしずまりかえっている留置場の永い午後、表通りの電車のベルの音がひろく乾いて近づくにつれ波のように通りぬける。 看守は多く居睡りをした。監房の中では男たちがシャツや襦袢を胡坐の上にひろげて、時々脇腹などを掻きながら・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ この方面ばかりでなく、宿屋が並んだ表通りを一寸裏へ入ると、どこでも北海道の開墾地へ行ったような有様なのであった。 彼等は、元湯共同浴場と立札のあるところへつき当った。道が二筋にそこで岐れている。「どっち?」 眺め廻し、なほ・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・ 今の家はひどい。表通りを荷物自動車が通ると、地震のように家中が揺れる。而も、埋めたての崖の上に建って居る家だから、時に、いやな想像に脅かされることさえある。―― 二時間も立たないうち、出かけたAは、いそいで戻って来た。自分にも一緒・・・ 宮本百合子 「又、家」
出典:青空文庫