・・・ 樹島は謝礼を差出した。出来の上で、と辞して肯ぜぬのを、平にと納めさすと、きちょうめんに、硯に直って、ごしごしと墨をあたって、席書をするように、受取を―― 記一金……円也「ま、ま、摩……耶の字?……ああ、分りました・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・執筆者へ渡す謝礼の金まで注ぎ込み、印刷屋への払いも馬券に変り、ノミ屋へ取られて行った。つねに明日の希望があるところが競馬のありがたさだと言っていた作家も、六日目にはもう印税や稿料の前借がきかなくなったのか、とうとう姿を見せなかった。が、寺田・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・すると磯九郎は自分が大手柄でも仕たように威張り散らして、頭を振り立てて種々の事を饒舌り、終に酒に酔って管を巻き大気焔を吐き、挙句には小文吾が辞退して取らぬ謝礼の十貫文を独り合点で受け取って、いささか膂力のあるのを自慢に酔に乗じてその重いのを・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・帳場の叔父さんの真面目くさった文字で、歌舞の部、誰、誰、と五人の芸者の名前が書き並べられて、謝礼いくら、いくらと、にこりともせず計算されていた。私は五人の名前を見て、一ばんおしまいから数えて二人めの、浪、というのが、それだと思った。それにち・・・ 太宰治 「デカダン抗議」
・・・その頃は一時間半ルーブルという謝礼さえ、若い女の家庭教師に対しては高すぎる報酬と思われていた時代です。ところで、生れつき勤勉で物わかりのいい若いマーニャは、家庭教師としての自分の生活をどんな風に導いていたでしょう。マーニャが世間によくある若・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人の命の焔」
出典:青空文庫