姓氏の一。
出典:gooニュース
サッカーを伝え続けた稀代の語り部・賀川浩さんのすごさ 際立ったプレー描写を支えた3つの視点
【賀川さんの記事を貪り読んだ】 賀川浩さんと僕との間には、28歳という年齢差がある。 僕は小学生だった1964年に東京五輪で初めてサッカーを観戦し、中学でサッカー部に入部したのだが、当時、賀川さんはサッカー記者の第一人者で、僕は『サンケイスポーツ』や『サッカーマガジン』に掲載される賀川さんの記事を貪り読んでサッカー知識を増やした。
日本人で初めてFIFA会長賞受賞の賀川浩さん死去 サッカー界から追悼続々「マイナーだった時代から…」
厳しい記事も書かれたと思うが、僕の長いサッカー人生の中で賀川さんの記事で不快になったことは一度もない。サッカーを良くしようという思いが第一義にあった。サッカーへの愛情に満ちた、日本を代表するサッカージャーナリスト、それが賀川さんだった。賀川さんに心からの哀悼の意を表します。
サッカー記者の草分け的存在、賀川浩さんが99歳で死去…日本人初のFIFA会長賞受賞
国内外のサッカーを長年取材したサッカー記者の賀川浩(かがわ・ひろし)さんが5日午前、神戸市内の病院で老衰により亡くなった。99歳だった。 神戸市出身の賀川さんは1952年に産経新聞社に入社。サッカー記者の草分け的存在として国内外で活躍。W杯は2014年のブラジル大会まで計10大会取材した。サンケイスポーツ(大阪)では編集局長などを歴任。
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